5 2007~08年 究極のチェネレントラ・ツアー

2011年1月27日 (木)

サグラダ・ファミリア!

私が前回、海外旅行に行ったのは、2007年の暮れのヨーロッパ旅行。もうずいぶん前のことになってしまいました。(今年こそは海外旅行に行くのが目標)

その時、数カ国まわった中で、スペインのバルセロナにも行きました。

高校生のころ、学校が終わると友人と一緒にフラフラと小田原の街をうろつき、時間を潰したものです。本屋に入ることも多かったのですが、そこで見つけたガウディの写真集に心うばわれました。海外には、こんなすごい建物があるのか…とビックリしたんです。友人と、すごい、すごいって大騒ぎ。でも、実際に見に行くつもりは全然なかった。当時の私にとっては、あまりにも遠い世界のことだったんですね。

スペインのホテルに着くと、フロントで、「首絞め強盗に注意」という日本語のリーフレットを渡され、ひるみました。後ろからいきなり首を絞められ、気絶している間に荷物を奪われるそうです。治安が悪いのは知っていましたが…。
(現在もギリシャ、ポルトガル、スペインあたりは深刻な不況のため、旅行者を狙った犯罪が多いようです。)

それでも、美しいものがあったら行っちゃいますよね。

フローレス出演のオペラを見るためにバルセロナに行ったのですが、当然、サグラダ・ファミリアにも行きました。夜はオペラ、昼はガウディ。高校生のとき本屋で立ち読みした夢の建物、自分が生で見ることなどないと思い込んでいた建物にやって来て、感慨もひとしおでした。

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それにしても、1883年ごろから造り始めて、現在も出来上がっていないというのは、どうなってるんでしょうね?

建物に近づいていくと、「あ、わりと出来上がってるんじゃん?」と思うのですが、よく見ると全然出来上がってないんです。(写真は全て3年ほど前のもの)

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中から~~

空が見える~~~

ここは資材置場か~~~

これは、建設資金が足りないわけではない、…と思う。すごい数の入場者だったんです。その入場料は半端じゃないと思うんです。これは想像ですが、たぶん、貧しい人にまわしてるんじゃないかな…。もしそうなら、それはそれで、本来の教会の役割を果たしているのかも…。

開場時間が10時で、私は10時10分ごろ中に入ったのですが、上に昇るエレベーターに行列が出来ていました。私も昇りたいので並びましたが、50分くらい待ちましたかねえ。エレベーター1台だけで、1度に数人しか乗れないし…。でも待った甲斐あって、素晴らしい眺めでした。

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昇りはエレベーター、下りは階段。下りルートは幾通りかあって、途中で外にかかる橋を渡るルートもあるはずなのですが、私は方向音痴なので、橋にはたどり着きませんでした。でも、螺旋階段を降りるだけでも楽しい。

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祭壇のある区画は、地元の人しか入れないみたいでした。(隔ての壁がありました。)

本当に美しくて楽しくて、心酔しました。

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それから、とにかく人が多くて圧倒されました。うじゃうじゃ。建物の周りを観光バスが何台も何台も取り囲んでいて…。中に入ると入場料を取られるので、柵の外から見ているだけの人も大勢いました。それは、信仰心っていうのじゃないんですね。誰も祈りを捧げたりしていないんです。祈る場所も用意されていないですし。ただ美しい建物を見たいだけ。それだけ。美しい建物には、これだけの人を集めるパワーがあるんだ、ということに感動しました。

日本の近代建築には、たいてい、そのようなパワーがありませんね。美のパワーが。国立西洋美術館、東京国立近代美術館、東京都美術館、江戸東京博物館、国立劇場、新国立劇場、東京文化会館、東京芸術劇場、NHKホール、建物の外で・中で、写真を撮りたいと思うような場所はありません。写真を撮ってる人なんて見たことないです。(中身で勝負?)

2008年4月19日 (土)

コートールド美術館

年末年始の海外旅行中に行った美術館の話

コートールド美術館 The Courtauld Gallery

http://www.courtauld.ac.uk/gallery/

●コヴェント・ガーデンからわりと近い場所にある美術館です。入口が分からなくてウロウロしてしまいましたが、人に尋ねてたどり着きました。広い敷地内の一部が美術館になっていて、小さいながらも、私の好きな印象派の名画が多く展示されていました。季節柄、中庭にはスケートリンクが設置されて、クリスマスツリーの飾りつけも残っていました。美術館の窓から見える、夜のスケートリンクの青い光が綺麗だった。

●素敵な絵がたくさんありましたが、特に良かったのは、まずルーベンスの「月明かりの景色Landscape by moonlight」。もう素晴らしい。館内は見学者も少なかったので、名画ひとりじめ。Oil on panelと表示されていましたが、キャンバスに描かれた油絵とはまた違って、薄く塗っている部分も、きめが細かいと言うのか、透明で伸びやかな感じ。信じられないくらい美しい。

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●それから、同じくルーベンスの「キリスト降架The Descent from the Cross」。すごく生々しくて、まるで現場に立ち合っているみたいな、これは遠い昔の話と思っていたのが、突然目の前に現れたかのような、強烈な絵でした。ああ、これって本当にあったことなんだな…って思わせるような説得力を感じました。

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●私は印象派の絵が好きです。予備知識がないと何も分からない絵、というものも多く存在しますが、印象派の絵は何も予習していなくても、素直に「美しい」と感じることができます。空が綺麗とか、海が綺麗とか、自然を見て美しいと感じるのと同じ。それを人間が創り出すことの尊さ。「美しい」って、それだけで尊いと思う。意味など考えなくても。

●しかし、予備知識がないと分からない絵を分かるために、少しは勉強もしようかなと最近は思っているんですけどね。やっぱり、分かると面白い絵って、ありますからね。

●印象派の中でも特にモネとゴッホが好きなのですが、コートールド美術館には、ゴッホの「包帯をした自画像Self-Portrait with Bandaged Ear」が展示されていて、強い衝撃を受けました。

●ゴッホの耳切り事件って、ご存じですか?ゴッホに興味がないと知らないですよね…?

『ゴッホ巡礼』(向田直幹・匠秀夫:著、新潮社:発行)より引用

フィンセント(ゴッホ)は、いつの頃からかひとつの理想をもっていた。それは画家たちが互いに刺激を与えながら一緒に制作できるような共同体をつくることであった。彼がまず第一に思い浮かべたのは、パリ時代の友人のゴーガンだった。ゴーガンは当時ブルターニュ地方に住んで制作していた。そのゴーガンを呼ぶため、“黄色い家”は準備されていった。

一八八八年十月二十三日、ゴーガンがやってきて二人の共同生活が始まる。しかし両者とも強烈な火のような性格の持ち主であったので、共同生活はすぐに論争と反目の明け暮れとなる。ゴッホは激しい興奮の真っ只中で、不眠と夢遊状態にしばしば陥るようになる。(中略)

そして運命の夜ともいうべき十二月二十三日がやってくる。夜になって最初の発作を起こしたフィンセントは、アルルの路上でゴーガンに切りかかろうとしたが果たせず、数時間後、自分の左の耳たぶを切り落とした。

「先週の日曜日、夜十一時半、フィンセント・ファン・ゴッホというオランダ生まれの画家が、娼窟一号の家に現われ、ラシェルという女を呼び、女に自分の耳を渡し、大切にしまっておいてくれ、といって、そのまま姿を消した。哀れな精神病者のやりそうなこととしか考えられない。この事件の知らせを受けて、警官が翌朝その男の家へ行ったところ、彼はベッドに横たわって、死んだようであった。この不幸な男は、直ちに病院に収容された」

当時のアルル地方の日曜新聞であった「フ・フォラム・レピュブリカン」は、一八八八年十二月三十日発行の紙面で、右のように耳切り事件を報じている。

●よくオペラの解説書に、ヴェルディ作曲《椿姫》のヴィオレッタはストレッポーニの象徴であるとか、プッチーニ作曲《トゥーランドット》のリューはドーリアの象徴であるとか書かれることがありますけれども、大きなお世話だと思うんですよね。それは、作曲家の私生活に起こった出来事は全て、作品に何らかの影響を与えているでしょうけれども、本人が読んだら怒ると思いますね。

●見学者の少ないコートールド美術館の一室で、ゴッホの「包帯をした自画像」をジーッと見ていた。絵の中のゴッホと、目が合うような、合わないような。ゴッホは何故この絵を描いたのだろう?誰に見せたかったのだろう?この絵で、何を言いたかったのだろう?絵の中に、壁に貼られた浮世絵が描かれている。日本人である私が、この絵を見るって、そういうこともあるって、ゴッホは思っていただろうか?私にも何か、言いたいことがあっただろうか。何も分からなくて、私はボケーっと絵を眺めていた。

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●私は、「オペラを見るための海外旅行」はしたことがありますが、「絵画を見るための海外旅行」はしたことがありません(まあ、オペラを見に行くと結局、絵画も見ることになるのだけれど…)。しかし、ゴッホの絵を見るために、いつかオランダまで行ってみたい、という希望を持っています。オランダのゴッホ美術館とクレラー・ミュラー美術館は、2館で300点以上のゴッホの油彩を所蔵しているそうです。

2008年4月12日 (土)

カタルーニャ美術館

年末年始の海外旅行中に行った美術館の話

カタルーニャ美術館 Museu Nacional d’Art de Catalunya

http://www.mnac.es/index.jsp?lan=003

●かなり広い美術館で、1階はロマネスク美術とゴシック美術(つまりほとんどキリスト教美術)、2階は近代絵画。企画展もありました。全て見るのには時間がかかります。

●私はキリスト教美術がよく分からないので、1階はサッと見学。モチーフが同じ、似たような絵画や彫刻が並んでいました。時代が下ると、少しずつ個性が出てくる感じ。

●ポカーンと上空を見上げる不思議な人の絵が何点も展示されていました。いったい何を見ているの…?

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●おっ、エル・グレコっぽい、と思ったら本当にエル・グレコだった。ふふん、エル・グレコの分かる男ふくきち。

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●おっ、またエル・グレコか?と思ったらエル・グレコではなかった…。エル・グレコの分からない男ふくきち。

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この色づかい、布の質感、エル・グレコ特有のものかと思っていたら、違うんですね…。

●2階は近代絵画だったので、こちらのほうが私の好み。特にマリアノ・フォルトゥーニの「スペインの結婚式」と、Joaquim Vayredaの「悲しみ」が印象に残りました。

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↑「スペインの結婚式」

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↑「悲しみ」

雲間の夕日の部分が、本当に光っているみたいに見えて驚きました。素晴らしい。レンブラントの絵でも「絵が光っている」と感じることがありますが、光を描く技術って不思議。

●企画展はシュルレアリスムのイヴ・タンギー展でした。ダリやマグリットの良さは私にも分かるのですが、タンギーはよく分かりませんでした。

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2008年4月11日 (金)

グエル公園

年末年始に行った海外旅行の写真。スペインのバルセロナにあるグエル公園。アントニ・ガウディの設計。

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↑正面入口。

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↑入ってすぐ。

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↑口から水が出るトカゲのオブジェ。大人気で写真の順番待ちができていた。

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↑お洒落なベンチ。

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↑グエル公園から見下ろすサグラダ・ファミリア。

2008年2月 4日 (月)

ナショナルギャラリー

年末年始の海外旅行中に行った美術館の話

●ロンドンに行ったら、行きたいところはたくさんあるけれど、やはりナショナルギャラリーにはぜひ行かなくては!…ということで行ってきました。入場料がタダで驚きました。

●今回は時間がなかったので、大英博物館には行きませんでした。それにしても、ロゼッタ・ストーンなど、何の権利があってイギリスに持ってきてるわけ?と思ってしまう。安田火災がゴッホの「ひまわり」を買ったときにバッシングがあったけれど、買ったんなら何が悪いのか…?

●ナショナルギャラリーは、私の好きな印象派の絵画はそれほど多くないけれど(ニューヨークのメトロポリタン美術館のほうが断然充実している)、ダ・ヴィンチやボッティチェッリなど、アメリカでは見られない(?)絵画が展示されており、さすがに面目を保っていました。

●ルーベンス「パリスの審判」の絵の前で、学生の団体が先生の作品解説を聞いていました。ヨーロッパの美術館では、このような光景をよく見かけます。絵の解説を聞く小グループ。日本の美術館ではあまり見かけませんね。日本の美術館は狭くて混んでますからね…。(その代わり、みんな図版で勉強するのかな?)

●「パリスの審判」の絵を見るためには、ギリシャ神話を知らなければいけません。ただ「ああ、綺麗~」っていう感覚だけでは分からない。絵画を見るためにあらかじめ用意すべき知識、そういう準備を私は今回もしていなかった。だってオペラの予習で忙しかったんだもん!そんなに同時にいろいろ予習できません。(でも「パリスの審判」くらいは知ってましたけど。)

●レンブラントの肖像画が2枚展示されていました。34歳のときのと、63歳のときの。並べて展示されているのではなく、別々の部屋に展示されていたのが不思議でした(ナショナルギャラリーは、全体的に展示の仕方が不可解でした)。驚いたことに、63歳の肖像画の前で、絵を模写しているおじさんがいました。いえ模写している人はよくいるのだけれど、何とそのおじさんは、イーゼルを立ててキャンバスに油絵の具で模写していたのだった!キュレーターと立ち話したりしていました。どこまで寛容なのか…。日本では絶対にあり得ませんね。

●おじさんの絵をのぞき込むと、あまり似ていない…。でも、生の絵を見ながら、筆の流れや、絵の具の厚みなど、印刷では分からない部分まで模写できるのは、絵の勉強になるだろうなぁと思いました。イーゼルを立てている人は初めて見たけれど、スケッチブックに模写している人はたくさんいます。伝統を感じました。そういうふうにして、また新しい才能が出てくるのかもしれません。(ところで日本画はこの先も大丈夫なのでしょうか?)

●ルーベンス「パリスの審判」、ボッティチェッリ「ヴィーナスとマルス」、ターナー「雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道」、ゴッホ「ひまわり」が特に印象的でした。

2008年1月23日 (水)

作曲家の胸像

●チューリッヒ歌劇場のファザード(建物の正面部分)には、作曲家・作家の胸像が立てられています。向かって左からシラー、ウェーバー、モーツァルト、ワーグナー、ゲーテだったと思います。作曲者・作家というのは作品を生み出した神様みたいなもので、「劇場の守護神」といった感じです。

●ちなみに、パリ・オペラ座ガルニエ宮のファザードにも作曲家の胸像が立てられています。

●仮に新国立劇場に立てるんだったら誰の胸像がいいか…って言っても、誰もいないでしょう。團伊玖磨とか山田耕筰というわけにはいきませんよね。

●なぜ日本語オペラの傑作って誕生しないんだろう?何度も再演されるやつ。題材が日本の神話とか民話とかだから駄目なんじゃないの?「何もそれをオペラにしなくても…」って思っちゃうじゃないですか。

●たとえば「マノン・レスコー」「トゥーランドット」「夢遊病の女」「ロベルト・デヴェリュー」「フィレンツェの麦わら帽子」を日本語で新たにオペラ化してみるとか、そういうほうが受けそうな気がしますけどね。

●日本って、合唱やってる人はたくさんいるじゃないですか。ヨーロッパですと、「子どものころ合唱をやっていた」→「先生に勧められてオペラ歌手の道へ」っていう流れがありますけど、日本だと、合唱をやってる人がオペラに憧れたりしないんじゃないですかね?それは、日本語の名作オペラがないから、というのも一因なのではないかと思うのでした。

2008年1月21日 (月)

ダリ・ユニバース

年末年始の海外旅行中に行った美術館の話

●バルセロナから少し足を伸ばすと、郊外にダリ美術館があるようです。私はダリがダリ好き…じゃなかった、大好きなので、ぜひ行ってみたかったのですが、日程的に無理だったので諦めました。

●ところが、ロンドンにもダリの作品を500点も集めた美術館があるってんで、急遽そこへ行くことにしました。コヴェント・ガーデンから歩いて行ける距離です。

ダリ・ユニバース

http://www.countyhallgallery.com/exhibitions/dali.htm

入場料がなんと12ポンド(約2,500円)!!ビビりましたが入りました。閑散としていた。高いから人が少ないのか、人が少ないから高いのか…?(1Fがダリの作品、B1にはピカソの作品が展示されていました。)

●ダリ作品500点と言っても版画が大半なのですが、いくつか彫刻が置いてあったのが興味深かったです。ダリのあの絵から抜け出てきたような不思議ちゃんオブジェたち。平面の作品も良いのだけれど、立体作品こそダリの真骨頂なのではないかと思いました。オッパイが引き出しになってたりするのね(分かります?)。絵より迫力がある感じ。私は彫刻にはほとんど興味がないのですが、ダリの彫刻は別。

●マジンガーZに出てくるオッパイミサイルも、やっぱりダリにインスパイアされたものなのだろうか…?(←何が「やっぱり」なのかサッパリ意味不明。)

●唇の形のソファも置いてあった!座りたかったけれど、座れないようになっていました。残念。

●「私のアイデアは好きにcopyしてくれたまえ、売るほどあるし、私自身は使わないものだから」というダリのお言葉が壁に書いてありました(もちろん英語)。カッチョイ~。才能があるって素晴らしい。そういえば手塚治虫も同じようなことを言ってたなぁ。「アイデアは売るほどある、でも時間がない」とか何とか。

●そういえばヘルベルト・フォン・カラヤンが言っていた、「やりたいことが残っているのに肉体が滅んでしまった場合、神は新しい肉体を提供する義務がある」と。いや正確には「ゲーテがそう言っていたとカラヤンが言っていた」のだった。「だから私は生まれかわります」だって。

●今年はカラヤン生誕100周年だそうですが、カラヤンの生まれかわりは、今頃どこで何をしているのでしょう。近所にいたりして…。ダリも生まれかわってるかな?

●才能のある人は、それを使う義務があると思う。ない人は…、頑張ってそれなりに生きていきませう。

2008年1月16日 (水)

女王陛下の歌劇場

ロイヤル・オペラ・ハウス(ロンドン)のカーテンには、裾に「ER」と刺繍してあって、これは何を表しているんだろうか、緊急治療室のことだろうかと思っていたのですが(思ってないっつーの)、インターネットとは実に便利なもので、検索したら分かりました。ERではなくEⅡRなのであり、女王エリザベス二世 Elizabeth Reginaを表しているそうです。王立って、現在の運営はどうなっているんでしょうね。女王陛下も、たまにはオペラを見に来るのかな?

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2008年1月15日 (火)

オペラの字幕

●年末年始に、バルセロナ、チューリッヒ、ロンドンでロッシーニ作曲《チェネレントラ》を見てきたのですが、一番笑い声が起こっていたのはロンドンでした。演劇的な完成度が高かったこともありますが、たぶん字幕が良く出来ていたのではないかと思います。「字幕が出るタイミングで笑ってる」という感じがしました。(私は字幕ナシで楽しめるようにバッチリ予習して行ったので、字幕は見ていなかったのですが、ときどきチラッと見てみました。)

●ラミーロ(王子)がマニフィコ(継父)に初めて会う場面で、Che buffone!という歌詞があります。バルトリ主演の全曲版CDに付いている日本語対訳ですと「何とおかしな奴!」となっていますが、ロンドンではたしかWhat an ass!と字幕が出ていました。結構、今っぽい感覚で訳してる気がしました(?)。

●イタリア語のオペラを一番楽しめるのはイタリア人でしょう。でも《チェネレントラ》は1817年初演の作品ですから、かなり昔の言葉で歌ってるんですよね。歌舞伎だと鶴屋南北・作『桜姫東文章』の初演が同じ1817年。

「判人衆の為にゃァなるが、亭主の為には、わらわはならぬかへ。コレみずからがくらがへより、アレ、あの女はどっから連れてきたのだ。これ、口広いこったが、ぬしの下タ歯と極まった女子はみづからより外、この日の本に二人とあっていいものかな。その上にまだいとけなき、ありゃァ、アノ女の子か。とっけもねえ、お乳や、めのとに抱かせて、養育あらばイザ知らず、みづからなぞは子供は嫌いだよ。アアしみったれな。好かねえ事はよしねえな。」

日本語でも言葉が相当変化してるのが分かりますよね。イタリア人は、1800年代の言葉で《チェネレントラ》を聞いているけれど、ロンドンの観客は現代の言葉(=字幕)でこの作品が楽しめる。それはイタリアにはない、1つのメリットだなぁと思いました。

●ついでに申し上げますと、イタリア人は、「どんなに歌が上手かろうが綺麗なイタリア語で歌ってくれないとイヤ!」と思ってるだろうけれど、異国人にとっては、少しぐらいイタリア語が下手な歌手でも受け入れられるので、その点イタリア人客よりもお得だと思います。

●話は戻って字幕のことですけれども、英語の字幕は、イタリア語から翻訳しやすいかもしれませんね。文の構造上。ロンドンの客はとても静かでマナーが良いのですが、よく笑っていました。Che volesse maritarsi con me?まさか、わしと結婚したいのでは?の部分では、字幕を出すタイミングもよほど計算されていたんじゃなかな。

●今回の旅行では、オペラは《チェネレントラ》しか見ませんから、とにかくこの作品を字幕ナシで楽しめるように、私は対訳を何度も読みました。バルトリ主演の全曲版CDに付いていた日本語対訳(小瀬村幸子・訳)でした。これが、オペラ対訳独特の日本語訳なんです。

■クロリンダ

それでは王子様が?

■合唱

すぐにお見えです。

■クロリンダ、ティズベ、シンデレラ

そして極めて美しい者は?

■合唱

選ばれましょう。

こういう言い回し、オペラの翻訳でしか見かけません。すごくヘン。そして極めて美しい者は、選ばれましょう?これは普通の日本語なの…?字幕ではなくCDの対訳ですから、より原文に忠実に訳すことが求められるにしても、例えば初めてオペラに接する若者が、この翻訳を読んで「やーめた」ってなっても文句は言えないんじゃない?だって言葉がおかしいでしょう?翻訳がおかしいってことは、作品がおかしいってことでしょう。

Madamina il catalogo e quest=「奥さん、これが恋のカタログ」を見ても分かるように、私は「直訳は翻訳にあらず」と思っています。オペラの字幕は意訳であるべき(対訳はまた少し違うけれども)。オペラにとって、字幕は非常に重要な要素ですが、残念ながら日本語字幕はたいてい質が低いと私は思います。映画の字幕、小説の翻訳はもっと高度に訳されています。字幕のせいでオペラファン獲得のチャンスを逃しているとさえ感じます。特にNHKにはもっと頑張ってほしい。とりあえず古い字幕はもう使わないでください。お願いします!

2008年1月12日 (土)

●チューリッヒ歌劇場はとても小さな劇場で(1階の客席に縦の通路がないんです!)、歌手のささやき声もはっきり聞こえます。ダンディーニがクロリンダとティスベに内緒話をする場面では、本当にひそひそ歌っていました。ロッシーニには小さな劇場が合うなぁとしみじみ思いました。バルセロナのリセウ大劇場は、大劇場といわれるくらいだから大きい劇場なのかと思っていたら、全然そんなことはなくて、小ぶりな劇場でした。ロンドンが一番大きかったけれど、それでも小さめ。

●大きな劇場は音響や見やすさが落ちますが、小さいとどうしても演出が小規模になりますし、新国は本当にうまいこと出来たなと思いました(そういう面では)。もっとベルカント作品を上演してほしい…。

●それで、チューリッヒ歌劇場では、歌手がプロンプターボックスの隣(下手側)のある位置に行くと、突然グワーと声が広がって、驚きました。スカラ座にも、歌手の声がよく響く特別な立ち位置が1ヶ所だけあると聞きました。私はスカラ座には行ったことがないので知りませんが、チューリッヒには、確かにそういうスポットがあるようでした。でも、歌手がそんなスポットを利用する必要がないくらい小さな劇場なんです、チューリッヒ歌劇場って。

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