5 2012年ルネサンスの旅

2015年3月16日 (月)

フィレンツェの礼拝堂

わたくし2012年9月にイタリア旅行に行ったのです。ついこのあいだのような気もするし、遠い昔のような気もします。

ヴェネツィア、ローマも好きですが、イタリアで一番好きな町はフィレンツェです。狭いエリアに観光名所が密集していて、興奮度MAX。約3日間の滞在でしたが、歩きたおしました。見たいところがたくさんあって、とても時間が足りないので、予め優先順位を決めておきました。
優先順位の第1位が、メディチ・リッカルディ宮の礼拝堂の壁画。ベノッツォ・ゴッツォリ作「ベツレヘムに行く東方三博士」でした。

行ってみたら、人が少なくてビックリ。
ぬおおお~~、いま礼拝堂には俺様1人だけだよ~~。
こんな美しいものを独り占めだよ~~。
なぜ?どうして?
うはははは。だっはっはっは。
ニヤニヤが止まらない。
私はもう食い入るように美しい壁画を眺め回した。

ずいぶん時間が経過してから、突然ガタッという音がして、振り向いたらなんと礼拝堂の中に隠し部屋があり、イタリア人のお兄さんが座っていたのであった。礼拝堂はわりと狭いのだけれど、その中にやっと人が1人入れるくらいの隠し小部屋が・・・(もとは倉庫か何かだろうか?)。
1人きりだと思っていたら、1人きりではなかったのだ!
恐ろしい・・・。
誰もいないと思って、「清らかな女神よ」を口ずさんだり、「娘道成寺」を踊ったりしなくて良かったと胸を撫で下ろしたことであった。

メディチ・リッカルディ宮は写真撮影が禁じられていたため、写真は撮っていない。
↓このリンク先の写真では、美しさの10分の1も伝わらないであろう。
ベツレヘムに行く東方三博士

◆ ◆ ◆

ヴェッキオ宮殿は有名だけれども、私の優先順位は低かった。所詮は政庁舎と思って、みくびっていたのだった。
しかし、ここは他の観光施設よりも遅い時間まで開館していたため、結局見ることにした。他がもう見られないのだから仕方がない。
期待していなかったのだけれど、予想外に素晴らしい建物だった。取り分け、内部にあるエレオノーラ礼拝堂に感動した。アーニョロ・ブロンズィーノ作の壁画が美しい。う・う・う・美しい~~。
こちらは撮影OKだった。
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個人用の礼拝堂を持っているなんて、いいなあ。日本で言えば持仏堂のようなものか・・・。

このヴェッキオ宮殿は、1階にちょっとグロテスクな彫刻がいっぱい置かれていた。
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ぐええ。

フィレンツェは、異国に攻め入られることが多かったから、それでこのような戦いの彫刻が多いのだろうか。

上のほうに登って行くと、礼拝堂(祈り)があり、凱旋の壁画(勝利)があり、鐘楼があり、戦いを終えて天へ昇っていくような気持になった。演出家のフランコ・ゼッフィレッリはフィレンツェ生まれだから、この凱旋の壁画を見て、そして新国の《アイーダ》が生まれたのだろう。
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ヴェッキオ宮殿の鐘楼から見えるフィレンツェが、一番美しいフィレンツェではないだろうか。つまり、フィレンツェのシンボルたるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の聖母寺)のクーポラからは、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は見えないわけだから。(当たり前)
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ヴェッキオ宮殿の鐘楼から見えるアルノ川の夕日は、切なく美しかった。
その時に撮影したはずの写真はなくなってしまった。よって私の心の中だけの夕日なので、皆さまにご覧いただくことが叶わない。

2013年7月16日 (火)

ボボリ庭園

オペラ発祥の地、フィレンツェ。去年の9月、私は初めてフィレンツェを訪れました。小さな町の中に名所が密集しており、非常に興奮しました。たくさんの美に出会い、脳みそがグツグツと沸騰しそうでした。

歴史上最初のオペラは、ヤーコポ・コルシという方のフィレンツェの邸宅内で上演された《ダフネ》だそうです。作曲はヤーコポ・ペーリ、1598年2月初演。コルシ伯爵の旧邸宅は現存するそうですが、一般人は入れません。しくしく。

楽譜が現存する最古のオペラは、ヤーコポ・ペーリ作曲《エウリディーチェ》で、1600年10月6日、フィレンツェのピッティ宮殿で初演されました。フランスの国王アンリ4世と、フィレンツェの大富豪・メディチ家の娘マリアとの、結婚を祝うイヴェントとして上演されたのでした。ギリシャ神話のエウリディーチェは悲劇ですが、オペラは結婚祝賀用にハッピーエンドとなっています(!)。オペラの発祥というと、こちらの《エウリディーチェ》が話題となることが多いですね。ピッティ宮殿は、入場料を払えば誰でも入れますから。もちろん私も入りましたよ。
ああ、この宮殿のどこかで、《エウリディーチェ》が上演されたのだなあと思いますと、特別な感慨があったのでございます。
ち・な・み・に、オペラ《エウリディーチェ》を捧げられたアンリ4世はこれが再婚でした。初婚のときは、サン・バルテルミーの虐殺が行われたのでした。マイヤベーア作曲《ユグノー教徒》で有名な虐殺事件ですね。その後、ローマ教皇から結婚の無効を取り付け、メディチ家のマリアと再婚し、ハッピーエンドの《エウリディーチェ》を観劇。波乱万丈ですね・・・。
【ヘンリー8世も得られなかった結婚の無効をローマ教皇から勝ち取った男】

宮殿の、どの場所で上演されたのか分からないのですが、たぶんボボリ庭園ではないのかなあ。宮殿内のボボリ庭園では、1960年に、ペーリ作曲の《エウリディーチェ》がフランコ・ゼッフィレッリによる演出で蘇演されたそうです。(見たかったけれど、私はまだ生まれていません)

『ゼッフィレッリ自伝』(フランコ・ゼッフィレッリ:著、木村博江:訳)より
しかしロンドンの前にもう一つ大きなオペラ公演があり、不思議な巡り合わせで、オペラの形をとった最初の作品、ヤコポ・ペーリの「エウリディーチェ」を私の故郷フィレンツェの五月祭で野外セットで行うことになったのである。最初のオペラと呼べる作品としてはもっと古いものもあろうが、それらは断片が残されているだけで、音楽劇として完全な形をとってはいない。「エウリディーチェ」は充分に正当な意味での最初のオペラと認めることができる。原本はフィレンツェの優れた音楽学者たちによって長年研究され編曲されてきた。彼らは古楽器のみを使用したオーケストラ・スコアを編纂し、現代の金管は使わずに木製のフルートとリード楽器、そして感動的な水オルガンを使った。その編成からは平均律以前の素晴らしい不定型な旋律が生み出された。一九六〇年の夏で、古楽器に対する興味が流行化する以前のことだった。フィレンツェの音楽学者たちは公演に情熱を傾け、私にこの忘れられた作品を甦らせる役割を託した。感じの良い老人がピアノでこの作品を私に弾いて聞かせた。イメージを得るにはそれしか方法がなかったのだ。私は魅了された-ばらばらな曲を寄せ集めたものとは大違いで、アリアが物語を発展させる役割を果たしていた。この作品によってオペラが完全な形で誕生したのは明らかだった。ペーリが忘れられていたのは、モンテヴェルディが「エウリディーチェ」から多くのものを取って数年後に「オルフェウス」を書き、こちらのほうが有名になったためである。もちろんモンテヴェルディは形式を発展させたが、ペーリが最初に発見したものは多い。彼の作品はメディチ時代のフィレンツェで盛んになった探究の精神から生まれたのだ。
 
「エウリディーチェ」はもともと一六〇〇年にとり行われたマリア・デ・メディチとフランス王太子との婚礼祝典のために書かれたものだったので、舞台装置についてはあまり問題はなかった。もとの舞台装置であったメディチ家の宮廷を、三百六十年後に再び使うことが出来たのだ。私たちは公爵邸裏の美しい庭園に舞台を作り、本物の建物を使った。ルネッサンス期の他の建物の噴水や彫刻も模倣してそれに加えた。舞台は四十メートル四方の広さがあった。あまりに本物そっくりだったので、たまたま訪れた人だけでなく、通い慣れた人たちまでがだまされ、日中は観光客が本物の宮殿と思い込んでいる様子が聞き取れた。ローマからピエロ・トージも手伝いに来てくれ、私たちは自分たちが学んだ故郷に最大の敬意を表する気持ちで臨んだ。背景画家は本物と贋物を混ぜ合わせて素晴らしい仕事をしたが、あまりにうまく出来たため思いがけない事態も生じた。一年後に知人がアメリカから新聞の切り抜きを送ってくれたのだが、なんとイタリア人は歴史的遺産を大切にしないと非難されているのだった。アメリカ人の団体がフィレンツェを訪れ、メディチ家の宮殿と思い込んだものを写真に撮った。そして一年後に再び訪れて見ると、その半分が壊されていたというわけだ。新聞記事ではスキャンダルとして大袈裟に報道されていた。

↓ボボリ庭園の写真

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↑宮殿の窓から庭園を望む

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↑宮殿を出て庭園へ(写真の右側に庭園が広がる)

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↑庭園の下のほう(写真の左側に宮殿)

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↑上のほうへ登って行くと、途中に池がありました

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↑丘の上の彫刻

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↑丘の上から庭園を見下ろす

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↑一番高いところ

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↑これは庭園の外側

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↑フィレンツェの町並み

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↑庭園はかなり広い

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2013年6月30日 (日)

ヴァチカン博物館の絵

ヴァチカン博物館は広いところで、有名なシスティーナ礼拝堂や、名作絵画揃いの絵画館など複数の見どころがあります。
ルネサンス期までの作品ばかりだろうと思っていましたが、意外や、比較的新しい画家の作品も・・・。

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↑ ゴッホのピエタ(?)。ゴッホにこんな絵があったのかとビックリ。

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↑ マティスの聖母子。かなり大きい絵でした。

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↑ シャガールですね。

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↑ これは確かレオナール・フジタかな~。

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↑ これはダリでしょう?

もちろんキリスト教絵画ばかりですが、こんな絵もあるのでした。他にもありましたよ。

2013年6月28日 (金)

イタリアで必見の天井画

去年の9月に、イタリア旅行へ行ったのです。
たくさんの天井画を見ました。本当にたくさん。
イタリアで天井画と言いますと、システィーナ礼拝堂が有名で、それはもちろん素晴らしいのですが、他にも絶対に見ておいてほしいものがありますので、ご紹介します。
意識して見に行かないと、なかなか見られませんから、ここで強くおすすめしておきます。

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↑ 私が最も感動したのは、ヴェネツィアのジェズアーティ聖堂の天井画。
ティエポロ画「ロザリオの制定」です。
ロザリオの真下に行ってみようとするのだけれど、ロザリオの真下には行けないの。
(なぜなら絵だから)

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↑ 続いて、ヴェネツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタ画「聖ドミニクスの栄光」。
聖堂の中の、小さな礼拝堂の天井画。

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↑ これはローマのサンティニャツィオ教会。
アンドレア・ポッツォ画「聖イグナティウスの栄光」です。
前述の2つに比べて、格段に大きい天井画で、迫力があります。

 16世紀初頭に始まった宗教改革は、ローマ教皇を中心とするカトリック世界に大打撃を与えた。プロテスタントに信徒の半分を奪われてしまったのである。
 1537年、スペインの修道士がローマにやって来て、教皇に面会を求めた。イグナティウス・デ・ロヨラと名乗るこの男は、ローマ教皇にこう訴えた。
 「私どもは、信仰のためには何ものをも恐れません。どうか、未開の地への布教という崇高なる使命をお与えください」
 教皇の許可を得、イエズス会を創設したロヨラやフランシスコ・ザビエルの厳格な指導の下、すべてを布教にかけるというイエズス会の献身的情熱は、カトリックをアジアの地に根づかせ、数十万人のカトリック教徒を、日本を含む”異国”の地に誕生させた。この功績により、ロヨラやザビエルは死後、聖人に祀られるようになった。
 サンティニャツィオ教会は、イエズス会の創始者であるイグナティウス・デ・ロヨラを讃えるため、1626~50年に建設される。この教会は、完璧に造られていた。荘厳に飾られたファザード(正面)の彫刻。両側に大理石の柱を配した広々とした空間内部。だが唯一の欠点は、内陣の主祭壇の上にクーポラ(円蓋)がないことであった。そこで、天井にクーポラを思わせる絵を描くことになり、画家が公募された。その結果、当時のバロック美術の巨匠ベルニーニの一門を差し置き、気鋭の建築装飾画家ポッツォが抜擢された。あるはずのないクーポラを、絵という手段で”造り上げた”ポッツォは、この教会身廊の天井画も依頼される。それがバロック天井画の最高傑作『聖イグナティウスの栄光』である。
『週刊世界の美術館No.3』(講談社)より


そういう訳で、絵の中に、いろんな人種が混じっています。

その他のおすすめは、ローマのバルベリーニ美術館(国立絵画館)。
ピエトロ・ダ・コルトーナ画「神の摂理の勝利」です。
ここは部屋の中央にソファが置いてあるので、寝転がって、好きなだけ天井画を眺めることができました。
(ちょっと行儀が悪かったか)

あとは、それほど強くおすすめはしませんが、ヴェネツィアのサン・ポーロ教会。
とても低い天井に、ティエポロが絵を描いていました。面白い。

普通は絵画と言えば、壁に展示されていて、近づいて見たり、離れて見たり、自分の好みの距離で見ることができる。でも天井画は、距離がもう決まっていて、自分で変えることができない。距離も作品の一部。そのことが新鮮でした。
また、建物に差し込む光の量や向きが変化するわけで、行ったタイミングで印象が変わるかもしれません。
とにかくイタリアに行ったら必見です。
 

2013年1月13日 (日)

旅の記録(2012年9月イタリア旅行)

9月13日(木)
成田発→フィウミチーノ→ヴェネツィア着
●映画「テルマエ・ロマエ」(機内、座席のモニターにて)

9月14日(金)
●朝6時02分発の水上バスでサンタ・ルチア駅前から島の南側を回ってザッテレへ。そしてアカデミアからカナル・グランデ(大運河)を上って再びサンタ・ルチア駅前へ。朝もやのヴェネツィアを楽しむ。
●ホテルで朝食
●水上バスでサン・マルコ広場へ
●ドゥカーレ宮殿
ティントレット「天国」
●サン・マルコ聖堂
Visita alla Pala d’Oro
Loggia dei cavalli
●サン・ジョヴァンニ・クリソストモ聖堂
Santuario Madonna delle Grazie
●サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ聖堂
●サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタ「聖ドミニクスの栄光」(天井画)
●コレオーニ将軍騎馬像
Chiesa di S.Canciano
●サン・ポーロ教会
ティエポロの低い天井画
●昼食(売店のマルガリータ&水)
●サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂
ティツィアーノ「聖母被昇天」
ジョヴァンニ・ベッリーニ「フラーリの祭壇画」
●聖ロクス同信会館(サン・ロッコ)
ティツィアーノ「受胎告知」
●アカデミア美術館
ジョルジョーネ「嵐」
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子と六聖人、天使たち」
ティツィアーノ「エジプトへの逃避」(エルミタージュ美術館より)
ティツィアーノ「ピエタ」
ティントレット「奴隷を救う聖マルコ」「動物の創造」
カルパッチョ「リアルト橋の奇跡」
ヴェロネーゼ「レヴィ家の饗宴」は補修中で見られず
●ジェズアーティ聖堂
ティエポロ「ロザリオの制定」(天井画)
Chiesa di S.Vitale
●サント・ステファノ聖堂
●夕食(売店のツナサンド&水)
●フェニーチェ劇場
19時開演・1階N列11番
ヴェルディ作曲《リゴレット》
指揮:Diego Matheuz
演出:ダニエレ・アバド
出演:セルソ・アルベロ、ディミトリ・プラタニアス、デジレ・ランカトーレほか

9月15日(土)
●ホテルで朝食
●電車でヴェネツィアからフィレンツェへ移動
●ホテルにチェックイン
●昼食(ホテルの近くの売店でパニーニ&オレンジジュース)
●ポンテ・ヴェッキオ(その後、何度も通った)
●シニョリーア広場(その後、何度も行った)
●メルカート・ヌオーヴォのイノシシ像の鼻をなでる
●オルサンミケーレ教会
●サン・ロレンツォ教会
ミケランジェロ「ヌムール公ジュリアーノ墓碑」「ウルビーノ公ロレンツォ墓碑」
●アカデミア美術館
ミケランジェロ「ダヴィデ像」
●メディチ家礼拝堂
●メディチ・リッカルディ宮
ベノッツォ・ゴッツォリ「ベツレヘムに行く東方三博士」
フィリッポ・リッピ「聖母像」
●孤児養育院美術館
ボッティチェリ「聖母子」
ギルランダイオ「東方三博士」
●夕食(ジェラート、パニーニ、水)

9月16日(日)
●ホテルで朝食
●ウッフィッツィ美術館
レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」
フィリッポ・リッピ「聖母子と2天使」
ミケランジェロ「聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ」
ボッティチェリ「春(プリマヴェーラ)」「ヴィーナスの誕生」「東方三博士の礼拝」「マニフィカトの聖母」「柘榴の聖母」「パラスとケンタウロス」「誹謗」「受胎告知」「サン・バルナバ祭壇画」
ラファエロ「鶸の聖母」「教皇レオ10世と2人の枢機卿」
ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」
ブロンズィーノ「エレオノーラ・デ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像」
ロッソ・フィオレンティーノ「奏楽の天使」
カラヴァッジョ「バッカス」「メドゥーサ」
●ピッティ宮殿
・近現代美術館
・パラティーナ美術館
ラファエロ「小椅子の聖母」「ラ・ヴェラータ(ベールの女性)」
・服飾美術館
・ボボリ庭園
・陶器美術館
●ジョットの鐘楼
●夕食(ジェラート、パニーニ、水)
●聖ステファノ教会
21時開演・自由席
オペラ・コンサート

9月17日(月)
●ホテルで朝食
●サン・マルコ美術館
フラ・アンジェリコ「受胎告知」「最後の審判」
●ドゥオーモ
・地下博物資料館
ブルネッレスキの墓
・クーポラ
●サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
マザッチョ「三位一体」
●サン・ジョヴァンニ洗礼堂
「天国の門」(レプリカ)
●サンタ・クローチェ教会
ロッシーニの墓
ダンテの墓
ジョットの壁画
正面祭壇は工事中
●夕食(パスタ&オレンジジュース)
●ヴェッキオ宮殿
エレオノーラ礼拝堂
・鐘楼
●聖モナカ教会
21時15分開演・自由席
オペラ・コンサート

9月18日(火)
●ホテルで朝食
●電車でフィレンツェからローマへ移動
●ホテルにチェックイン
●サンタ・マリア・マッジョーレ教会
ローマ4大教会の1つ
ベルニーニの墓
●バルベリーニ美術館(国立絵画館)
フィリッポ・リッピ「受胎告知」
ラファエロ「ラ・フォルナリーナ」
ベルニーニ「クレメンテ10世」(彫刻)
カラヴァッジョ「ホロフェルネスの首を斬るユディット」「ナルキッソス」
Antonio Corradini
La vesrale Tuccia」(彫刻)
ピエトロ・ダ・コルトーナ「神の摂理の勝利」(天井画)
Il Baciccioが描いたベルニーニの肖像画、ベルニーニが描いた油絵2点が展示されていた
●サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会
ベルニーニ「聖テレーザの法悦」
●ボルゲーゼ美術館
クラナハ「ヴィーナスと蜂の巣を持つキューピッド」
コレッジョ「ダナエ」
ピントリッキオ「聖ヒエロニムスと聖クリストフォルスのいる架刑図」
ラファエロ「一角獣を抱く女性」「キリストの埋葬」
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子」
ティツィアーノ「聖愛と俗愛」「キューピッドに目隠しするヴィーナス」
ヴェロネーゼ「聖アントニウスの魚への説教」
ベルニーニ「プロセルピナの略奪」「アポロンとダフネ」「ダヴィデ」「アエネアスとアンキセス」(彫刻)
カラヴァッジョ「蛇の聖母」「果物籠を持つ少年」「病めるバッカス」「ダヴィデとゴリアテ」
●バルベリーニ広場
・トリトーネの噴水
・蜂の噴水
●トレヴィの泉
CHIEZA SS. VINCENZO E ANASTASIO
●夕食(レストランでカルボナーラと水)

9月19日(水)
●ホテルで朝食
●ヴァチカン博物館
・システィーナ礼拝堂
・絵画館
レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖ヒエロニムス」
ラファエロ「キリストの変容」
カラヴァッジョ「キリストの埋葬」
・ピオ・クレメンティーノ
「ラオコーン」
「ベルヴェデーレのトルソ」
・署名の間
ラファエロ「アテネの学堂」
●サン・タンジェロ城
●ナヴォーナ広場
●サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会
《トスカ》第1幕の舞台となった教会
●ジェズ教会
●ソプラ・ミネルヴァ教会
ミケランジェロ「十字架を持つキリスト」
フィリッポ・リッピ「受胎告知」
ベルニーニ「Giovanni Vigevano氏の肖像」(彫刻)
フラ・アンジェリコの墓
●パンテオン
ラファエロの墓
●エヌマエーレ記念堂(外観のみ)
●フォロ・アウグスト(外観のみ)
●フォロ・チェザーレ(外観のみ)
●フォロ・ネルバ(外観のみ)
●コロッセオ(外観のみ)

9月20日(木)
●ホテルで朝食
●サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
カラヴァッジョ「聖パウロの回心」(←右)「聖ペテロの磔刑」(←左)
キージ家礼拝堂は工事中で見られず
●サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会
●サンタンドレア・デッラ・フラッテ教会
ベルニーニ「カルティーリョを持つ天使」「とげの花冠を持つ天使」
●スペイン広場
●サンティニャツィオ教会
アンドレア・ポッツォ「聖イグナティウスの栄光」(天井画)
●サンタンドレア・アル・クイリナーレ教会
ベルニーニ設計の楕円形ドーム
●昼食(チョコレート&水)
●トレヴィの泉
●エマヌエーレ記念堂(外観のみ)
●カピトリーニ美術館
カラヴァッジョ「洗礼者ヨハネ(解放されたイサク)」
●サンタ・マリア・イン・アラコエリ教会
SANT’EUSTACHIO教会
●サンタゴスティーノ教会
カラヴァッジョ「ロレートの聖母」
●ナヴォーナ広場
●アルジェンティーナ神殿跡
●サン・クリソゴーノ教会
●サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会
●サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会
ベルニーニ「ルドヴィカ・アルベルトーニ」(彫刻)
●真実の口(外からチラリと)
●ヴェスタの神殿(外観のみ)
●スペイン広場
●ナヴォーナ広場
●スペイン広場

9月21日(金)
●ホテルで朝食
フィウミチーノ発

9月22日(土)
成田着


2012年11月21日 (水)

神の御前で

プッチーニ作曲《トスカ》で、「スカルピア、神の御前で」というセリフがありますね。
トスカがサンタンドレア城から身を投げる直前に言うセリフです。オペラの最後のセリフ。

「御前」は「みまえ」と読むのだと思うのです。「ごぜん」じゃないのです。

神の御前に出たら、裁きを受けるわけでしょう。
どういう判決になると思いますか?

オペラの台本をつくるときに、「敬虔なキリスト教徒であるトスカが自殺するはずはない」として、身投げする結末を変更しようとしたが、原作者のヴィクトリアン・サルドゥーは頑として認めなかったとか何とか・・・。
敬虔なキリスト教徒と言っても~~、トスカは殺人者ですよね・・・。
トスカはあの時、どうすれば良かったのだろう。

神の考えていることは分からない。
なぜ、なぜ主よ、なぜこのような報いを私に。

どのように行動すれば、神の御心にかなうことになるのだろうか。
正解が分からないのに、どうすればいいのだろう。

「御心」は「おこころ」ではなく「みこころ」って読んでくださいね。

9月にイタリアに行ってきたのです。
(イタリアの話はまだまだ続く)
現地でしか見られないルネサンス美術をたくさん見てきました。
ルネサンスは、中世のキリスト教支配から解放された人間賛歌、
というイメージがあったのですが、
実際は、キリスト教美術ばかりでしたね。
ルネサンス美術は、キリスト教美術かギリシャ神話か、どちらかですね。ほとんどの作品が。
いわゆる世俗的な題材の絵画、宗教以外の絵画は、本当に少ない。
(肖像画はたくさんありましたが)
解放というイメージではなかった。
ほかに描きたい題材はなかったのかと思うくらい、キリスト教絵画だらけだった。

仏教の場合、たとえ信徒でなくても、部分的に参考にしていいわけでしょう。
ここは全然分からないけれど、この話は分かるな、とか。
これはいい話だな、とか。
そういうのを、自分の生活に取り入れていけばいいでしょう。
けれどキリスト教は、まず全知全能の唯一神ヤハウェ(ヤハヴェ、エホバ)の存在を信じないと、全ての物事が始まらない。
神様は1人。
1人だけで全てを創造した。

そうすると、
なぜ地震が起きるのかとか、
なぜ津波が起きるのかとか、
なぜ戦争が起きるのかとか、
全く分からない。

キリスト教には、「三位一体〔さんみいったい〕」という考えがあります。
①父(創造主、ヤハウェ)
②子(救世主、イエス・キリスト)
③聖霊
この3つは1つだと言う。
①と②はいいとして、③は何なのか?
絵画では、白い鳩として描かれる。
イタリア旅行中に、たくさん見ました。
でも、べつに鳩でなくてもいいのでしょう。
神様って、確かにいるんだなと思わせてくれる存在、
それが③ではないかと思う。

私は、よく鳩が飛んでいるのを見かけますよ。
神はいるに違いないと思う。
例えば蓮の花を見ていて、こんな美しいものが、勝手に生えてくるはずがないと思う。
あるいは目玉ですね。このような高機能なものが、偶然で出来あがるはずがないと思う。
絶対に偶然ではない。
鳩はあちこちに飛んでいる。
しかし、烏が飛んでいるところも、よく見かけるのだった。

ウチにまだテレビがあったころ、たしか爆笑問題の太田さんが言っていた。
蟻〔あり〕は、人間のことを認識していないだろうって。
ガキんちょが、蟻をプチって潰したとする。
何が起きたか蟻には分からないだろうって。

蟻は、世界の全てを把握しているわけではない。
人間も、世界の全てを把握しているわけではない。

人間を見下ろしている、もっと高次元なる存在は、当然いるのではないだろうか。
しかし、それが1人であるかどうか、私にはよく分からない。

9月のイタリア旅行で、たくさんのルネサンス美術を見て、その美しさにもう夢中になった。
でも、一方で、完全に納得したわけではない自分もいるのだった。
つまり、私はキリスト教徒ではないから。

2012年10月23日 (火)

憧れのボルゲーゼ美術館

東京都美術館で「ボルゲーゼ美術館展」が開催されたのは2010年(平成22年)の初めごろ。そのとき、会場で流されていた現地の映像を見て、「ここに行ってみたい」と思ったのでした。やっと夢が叶いまして、9月に見ることができました。

【叶う夢と、叶わぬ夢とがある】

この美術館は、
・完全事前予約制
・2時間完全入替制
となっています。

2時間・・・あまりにも短い。

ちょっと早めに行ったのですが、予定より10分早く入れてくれて、予定より5分早く出ていけと言われた。
みんなで一斉に入場するので、「先に1階、次に2階」という人が多い。
ので、
「先に2階、次に1階」という順番で見るのが賢いかと。

完全事前予約制ですが、それなりに人は多い。
そして、うるさい。
向こうの人は、詳しい人が他の人に解説しながら見るから。
異国語だから気になりませんけどね。

私は「2時間では足りない」と思ったのですが、
2時間たたないうちに帰ってしまう人も多く、
リミット間際はガラガラになりました。
(私は17時から19時までの最終組だった)
閉館直前のガラガラ状態を私は個人的に「プレシャス・タイム」と呼んでいますが、
ああ~、私は今、1人で「プロセルピナの略奪」と見ているよ~~、
この作品を見ているのは私1人きりだよ~~、
という至福の瞬間を味わったのでした。

この美術館は、ベルニーニ作の彫刻が目玉作品となっている。

「アポロンとダフネ」と、「プロセルピナの略奪」は、たいていの解説本に載っています。
しかし、ベルニーニの作品は、それだけではありません。

まず、東京都美術館にも展示された「シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の胸像」、この館の主の姿を写した彫刻ですね。
都美の展示を見たとき、
「ボルゲーゼ枢機卿の顔がどんなであろうと、知らないよねえ?」
「1番つまんない彫刻を持ってきたんだね」
「そりゃあアポロンとダフネに船旅はさせられないんじゃないの」
などという会話があちこちで交わされたことと思います。
が!!
現地に赴いてみれば、
「シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の胸像」は、
同じ物が2体置いてあった・・・。
つまり、ベルニーニは、
全く同じ彫刻をもう1体つくる能力があったわけなんです。
全く同じ彫刻。
なかなか作れないと思うんですよね。
人間の顔って、左右対称じゃないでしょう。
その鼻筋の微妙な曲がり方、
唇の形、
もう驚異的に同じなんです。
(ちょっと瞳孔の彫り方が違えてありましたけど)
2つの彫刻のあいだを行ったり来たり行ったり来たりしてしまいました。

それから、「ダヴィデ像」。
ダヴィデ像と言えば、ミケランジェロのものが有名ですが、
ミケランジェロのダヴィデ像って、
ダヴィデ像だと言われなければ、ダヴィデだと分からないじゃないですか。
ダヴィデって知ってます?
13歳のときに、ゴリアテという巨人に立ち向かい、
投石でやっつけたヒーローですね。
ミケランジェロのダヴィデ像は、どっちが巨人なんだか、
ダヴィデがこんなにデカかったら、ゴリアテはどんだけデカいんだ、
右手に石を持っているの分かりました?
何をしているのか、
何をしようとしているのか、
見ていて全然分かりませんよ、
【おすましダヴィデ君】
し・か・し、
ベルニーニ作のダヴィデは、
まさに石を投げる瞬間の緊迫感みなぎる表情、
狙いを定めた目つき、
そして今にも動き出しそうな体勢、
死ぬ、
ゴリアテは死ぬ、
この小さな少年の勇気によって。

そしてさらに、「エネアとアンキーゼ」。
これは、「プロセルピナの略奪」「アポロンとダフネ」に勝るとも劣らぬ傑作だと思いますが、日本ではあまり紹介される機会がないようです。
ローマ建国の伝説に基づいたテーマらしいのですが、
青年が爺さんを肩に担いで歩いている、
その青年の足元には小さな男の子が付き添っている、
というものです。
老人、青年、子どもが縦に並んで彫られている。
その3世代の男の彫り分けをご覧ください。
まず、胸やお腹の張り、
膝小僧のあたり、
そして裏にまわって背中や腰の具合、
彫刻というものの表現力の可能性、
ここまで出来るものなのかという驚き、
時間をかけてじっくり見ていただきたいのです。

もちろん、「プロセルピナの略奪」は本当に素晴らしかった。
事前に写真で見ていた例の指のめりこみ具合、
生で見るとまた格別です。

彫刻はいろんな角度から楽しめるので、
事前に写真で見た印象よりも、
何倍も素晴らしい。

それから、作品単体の素晴らしさだけでなく、
彫刻の置かれた環境の美しさ、
部屋全体の美しさも特筆したい。
日本の美術館は「作品が見られればそれでOK」という殺風景な空間が多いですけれども、誠に残念なことです。
何もお金をかけろと言うのでなく、
シンプルでも質素でもいいのですが、
もっと部屋の雰囲気を美しく整えることって可能だと思うんですよね。
そういう才能って、出て来ないものですかねえ。

絵画では、
ティツィアーノの「聖愛と俗愛」「キューピッドに目隠しするヴィーナス」、
カラヴァッジョの「病める少年バッカス」が特に心に残りました。

建物の外観は、期待していたほど美しくなかった。
なので写真は撮りませんでした。
館内は撮影禁止です。
(撮影禁止にするならば、もっとちゃんとした公式写真を販売してほしい・・・)

2012年10月22日 (月)

ヴェネツィアの旅

ヴェネツィアを訪れるのならば、

『ヴェネツィア物語』塩野七生・宮下規久朗:著、新潮社とんぼの本

この本を事前に読んでおくことをおすすめします。
読むのと読まないのとで、ずいぶん違った旅になると思います。

それから、ぜひ覚えておくと良い事柄として、

Agnolo di Cosimo detto Il Bronzino

絵画の紹介パネルに、このような表記がある場合、
dettoの意味が分からないと困ります。
私は困りました。
あとで判明したところによると、
detto=called、known as
という意味で、
「ブロンズィーノと言われているアーニョロ・ディ・コジモ」となります。
アーニョロ・ディ・コジモが本名なんですね。

それから、
Bottega del Bernini
と書かれていた場合、
Workshop of Bernini
という意味で、
「ベルニーニ工房作」となります。
つまりベルニーニが親方をしていた工房で作られたのであって、
ベルニーニ本人の作じゃないのでしょう。
ちなみに《セビリアの理髪師》の歌詞で、フィガロの店のことをbottegaと言っている。

Aiuto del Pinturicchio
と書かれていたら、
Helper of Pinturicchio
だそうです。

フィレンツェやローマの紹介パネルは英語と併記になっているのですが、
なぜかヴェネツィアはイタリア語のみだった、ような・・・。

2012年10月17日 (水)

ローマの泉

9月のイタリア旅行から約1か月が過ぎ、だんだんと記憶も薄れて参りました・・・。

ローマでは、トレヴィの泉に行きました。
大学の卒業旅行でローマに行ったとき、トレヴィの泉は1度見ていますので、今回はいいかなとも思いましたが、やはり再びローマに来られるように、コインを投げに行ってきました。
(フィレンツェでは、イノシシ像の鼻をなでると、再びフィレンツェに来られることになっている。日本でも何か考えればいいのにね)

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↑ 夜の照明も美しい。泉の前は大変な賑わい。

それから、今回のローマ訪問は、ベルニーニの彫刻を見ることが最大の目的でしたので、ナヴォーナ広場の「四大河の噴水」も外せません。

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↑ 夜のナヴォーナ広場は、かなり暗めの照明でした。それはそれで雰囲気がありますけれども、彫刻をくっきりと見たいのであれば、昼間に見に行ったほうが良いでしょう。
ベルニーニの彫刻がたいへん素晴らしい。

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↑ 同じくナヴォーナ広場にあるベルニーニ作の噴水。

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↑ これもナヴォーナ広場内にある噴水ですが、こちらはベルニーニ作ではないそうです。(蛸が巻き付いているほう)


上野で、噴水のリニューアル工事をしていましたでしょう。私は、どんな素敵な噴水が新しく出来上がるのかとワクワクドキドキしながら待っていたのですが、出来上がってみれば、前よりさらに寂しい感じの、残念な小池が出現したのでした・・・。
ナヴォーナ広場くらいの美しい池が、作れないものなのでしょうかねえ。

トーハクの前庭の池も、全然美しいと思えない。トーハクの前庭は、本当に何とかならないものでしょうかねえ・・・。

日本の噴水で言いますと、埼玉県立近代美術館のそばにある「踊る噴水」は好きですね。定刻になると、音楽に合わせて水が踊るんです。結構複雑な動きで。ウィリアム・テル序曲など楽しかった。

2012年10月16日 (火)

教会で聞くオペラ!その2

イタリア旅行記

9月17日、21時15分開演、自由席。今回のイタリア旅行中、教会で聞くオペラ・アリア・コンサートの2回目。1回目とは別の、聖モナカ教会というフィレンツェの小さな教会でした。フレスコの天井画がありました。終演は22時45分くらいでしたかね。20ユーロ、およそ2000円。係員は入口に1人のみ。この日は譜めくりの人がいたのですが、前日の、別の教会のコンサートでピアノを弾いていたお兄さんだったような・・・?
客は70人くらい入ってましたかねえ。私が入場したときはガラガラだったのですが、開演間際には、かなり埋まっていました。舞台上(祭壇上?)にも脇に椅子が並べてあって、羅漢席となっていました。
ピアノの側面にスタンウェイとかベーゼンドルファーとかヤマハとかの社名が入っていない、真っ黒なピアノを使っていました。そういうピアノもあるのですね。知らなかった。

出演:
シルヴィア・ディ・ファルコ(ソプラノ)
ヴァレンティーナ・メッサ(ピアノ)

演奏曲目:
1.ドニゼッティ作曲《ドン・パスクワーレ》より「騎士はあの眼差しに」
2.ロッシーニ作曲《セビリアの理髪師》より「今の歌声は」
3.ブラームス作曲op.118 n23(ピアノ・ソロ)
4.プッチーニ作曲《蝶々夫人》より「ある晴れた日に」
5.シューベルト作曲op.33(ピアノ・ソロ)
6.プッチーニ作曲《ラ・ボエーム》より「私が街を歩くと」
-休憩-
7.プッチーニ作曲《トスカ》より「歌に行き、恋に行き」
8.プッチーニ作曲《ジャンニ・スキッキ》より「私のお父さん」
9.ショパン作曲op.52 n4(ピアノ・ソロ)
10
.ヴェルディ作曲《椿姫》より「そはかの人か~花から花へ」


歌っている時間よりピアノ・ソロのほうが長かったような気がする・・・(笑)。あまり喉の強いソプラノではなかったのかも。前日に見た別のソプラノに比べると、歌はしっかりしていましたが、それでも優秀というほどではありませんでした。並。ただし、このソプラノはすごい美人だったのです。歩き方も、美人の歩き方だった。何か武器があるというのは、良いことでございますね。

《椿姫》のアリアでは、高いEフラットの音を出していました。出ない人かと思ったら、ギリギリ出してました。出るものですねえ。

途中で休憩時間がありましたが、私はずっと座っていました。すると、1列うしろの席から、小声で「ジャップ、ジャップ、ジャップ・・・」と言い続けるおばさんの声が聞こえてきました。聞き間違いかとも思ったのですが、確かにそう言っていました。聞いていて気持ちが悪くなってきてしまいました。言葉の力って、すごいものですね。こんなのは昔の話で、もう存在しないと思っていたのですが、いるものなんですねえ。どんな人なんだろうかと私が一瞬振り向いたら、話が通じていると思って調子づいたのか、そのおばさんは連れの爺さんに向かって「ジャップに関するナゾナゾ」を出し始め、私の感触では、おそらくイタリア人のおばさんが私に分かるようにわざわざ英語で喋っているふうだったのですが、もうこんな気持ち悪いおばさんには耐えられない、と思ったところで休憩が終わってソプラノが登場したのでした。

それで、日本人オペラ歌手がイタリアの歌劇場に出演するのなんかは相当難しいんだろうなあ・・・と改めて思ったのでした。人種とか、または宗教上の理由で特定の歌劇場に出られないことって、絶対にあるだろうと思いました。

あるいは、単なる聞き違いだったのだろうか・・・?

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↑ コンサートが行われた聖モナカ教会の内部

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↑ 聖モナカ教会の天井画


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