6 ミュージカル

2018年12月30日 (日)

シェルブールの雨傘

ミュージカルの映像をいろいろ見ているんです。
ミュージカルは、たいてい「子供向け」か「下品」か、どちらかに分類されることが多いのですが、どちらにも属さない「大人が楽しめる上質なミュージカル」も少数ながら存在します。先日見た『シェルブールの雨傘』も、良く出来た内容でした。
モーツァルト作曲のオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》を悲劇にしたような内容でした。
《コジ・ファン・トゥッテ》が「あり得ない話」であるのに対し、『シェルブールの雨傘』は「あり得そうな話」となっていました。

冒頭からいきなり、超有名な旋律が流れてきます。「このメロディーは、このミュージカルのものだったのか!」と期待が高まります。(私はどこでいつの間に、このメロディーを聞き覚えていたのだろう?)
でもちょっと、同じメロディーを何度も使い過ぎな感じがしました。そして、求心力があるメロディーはそのメロディー1つだけ。1作中に名旋律を何種類も用意したヴェルディやプッチーニは本当に偉大でした。でも「早い者勝ちの法則」により、時代が下るにつれて名旋律は作りづらくなっていくわけですし、1つだけでも思いついたミシェル・ルグランは天才なのでしょう。名旋律が1つあればミュージカルって作れちゃうんだなあと思いました。「思いつく」のと「思いつかない」のとは、何が違うのだろう?

最後にもうひと盛り上がりしても良いのではないかと思いましたが、寂しく終わるところがいいのかもしれない・・・。

2018年1月10日 (水)

オン・マイ・オウン

 

私は、テレビって見ないんです。あんまり面白い事やってないですよね。地デジ化のタイミングで見なくなった。世の人々がテレビを見ている間に、私は仕事をしているわけなんです。編集の仕事は家でもできるので。

最近「働き方改革」なんていうことが盛んに言われますが、要するに「これまで払っていたような残業代は払えなくなった」という意味でしょう。何ですか、私の働き方が悪いから変えろっていう意味なんですか?
残業を減らしたかったら、仕事を減らしていただかなくては。

残業ね、残業。減らす気になれば、いくらでも減らせるんじゃないですか。しなければいいのでしょう。現に、働いていない人はいるわけですし。

テレビはほぼ見ていないのですが、旅行でホテルに泊まった時と、帰省した時には見るのです。
年末年始は、お笑い番組を見ますね。何組もの芸人が、ひたすらネタだけやり続ける番組。さすがによく準備されているから、面白いですよね。でも今回は新しい芸人が出てこなかったかな。

ところどころ、紅白も見たんです。今の歌って、歌詞の半分くらいが英語になってるんですね。歌っている人は英語を話せる人たちなんでしょうか?むかし「CAN YOU CELEBRATE?」という曲が流行った時、英語圏の人に通じない英語だって話題になったことがありましたけど・・・。

さて、オペラの世界では、1986年に藤原歌劇団が舞台に字幕を付け始めてから、徐々に原語上演が増えてきて、現在では日本語訳詞上演は極めて稀という状態になりました。一方ミュージカルは、ほとんどの作品が英語であるにもかかわらず(私たちが長年勉強し続けている身近な言語の英語であるにもかかわらず)、日本語訳詞上演が多い。「多い」というよりも、日本人が上演する場合は100%、日本語訳詞上演ではないでしょうか?なぜミュージカルは原語上演に移行しないのでしょう。

ミュージカルの日本語訳詞上演。
日本語を知らない人がカタコトの日本語で必死に歌っているように聞こえるんですよね・・・。
「道に迷えば見つけてくれるわ」「だけど道はある」「川もただの川」
不可解な日本語が続々登場。

なぜミュージカルは原語で上演されないのか?
それは、客が子供だからでしょう。
子供は字幕を追えませんからね。

よくシャンソンを歌っていた越路吹雪さんは、日本語訳詞にこだわってフランス語での歌唱に興味がなかったそうですが、フランス語で聞きたかったらピアフを聞けば良いわけで、日本語でなければ存在意義を失ってしまったのではないか、という気もします。

日本人が英語でミュージカルを歌う未来はちょっと想像できませんね。
日本人オペラ歌手は原語で歌っているのに。

シアターオーブができて、海外のカンパニーの来日公演が増え、ミュージカルの原語上演が増えている気がします。
しかし、『レ・ミゼラブル』や『ライオンキング』など、人気のある作品ほど、今後も原語上演は望めないでしょうね。日本人が日本語訳詞上演をしているうちは、海外のカンパニーは来ないでしょうから。

私は根がマニアックな体質なので、『レ・ミゼラブル』のエポニーヌが歌う「オン・マイ・オウン」をいろいろ聞き比べてみたわけなのです。
原語を読んでから日本語訳詞の歌を何度も聞いていると、ヘンテコな日本語もだんだん気にならなくなってくる感じ。
英語、日本語関係なく、たくさん聞いたのですが、泣けるon my ownは本田美奈子さんのこの映像だけですね~。
  ↓
https://www.youtube.com/watch?v=TJ5Q3d_FECY

 


この映像は、羽田健太郎(ハネケン)さんのピアノも本当に美しい。前奏の部分だけでも、速度や強弱が細かく変化しているのが分かる。そして、とてもゆっくり歌い出し、途中からテンポを速め、またゆっくりに戻っている。
本田美奈子さんは、声の音色を変化させて歌っていますね。この歌はかなり幼い恋の歌だから、あどけない感じで歌い始めて、歌詞の内容に合わせて強い調子に変わっていき、最後に戻っている。
こういう繊細な「変化」というものを、ミュージカルの舞台ではなかなか出せないみたいなんですよね。「縁などない」の後、こんなに長く沈黙できないですよね舞台では。
映画版でエポニーヌ役を射止めたサマンサ・バークスは、映画ではとても丁寧に演劇的に歌っていると思うけれど、その他のステージではすごく単調な印象。

youtube
に昆夏美さんの「オン・マイ・オウン」も出ていて、うまいとは思うのですが、美人すぎてかえって嫌味に見えると言いますか、いやアナタには近い将来素敵な人が現れると思うよ、という気分でござる。
それにしても昆さんは日本人としては驚異的な閲覧数ですな・・・。


2018年1月 8日 (月)

ミュージカル

最近、ミュージカルの映像をいろいろ見ているんです。
他にも読書したり美術館に行ったりしたいのですが、なかなか時間が取れません。読書はとても時間がかかるけれど、映像は決まった時間で必ず終わってくれるし。
仕事で活字ばかり見ているのに、趣味でも文字を追うのは気詰まりな感じですし。

世の中には是非とも見ておくべき名作がいろいろあるけれど、多すぎて、その全てを味わうのは不可能。私は劇場に勤めているのだし、何か演劇に関係するものに重点を置いたほうがいいかな~~と思うのです。
ミュージカル映画はたいてい製作にお金をかけていて、見応えがあります。また同じ作品で、舞台版の映像と映画版との「見せ方の違い」を比べるのも楽しい。

このあいだ、『ロッキー・ホラー・ショー』を見て、あまりの馬鹿さ加減に衝撃を受けました。イギリス人がこんなに馬鹿だったなんて?大ショック!!
という話を友人にしたら、「イギリスって、もともとそういう国でしょう」と言わました。そうだった?

先日、『プロデューサーズ』というミュージカル映画を見たのです。
失敗して早期に打ち切ったにもかかわらず収益を上げているミュージカルの興行が存在する、という事実に気づいたプロデューサー(ブロードウェイ・ミュージカルの)が、予め確実に失敗することが自分で分かっていれば逆に巨額の富を手に出来ると思いつき、最悪の脚本を、最悪の演出によって舞台にかける、という内容。その「最悪の舞台」というのが本当に最悪で、よくこんなの舞台で上演できたなあとしばし呆然。(この作品は映画になる前にブロードウェイで舞台上演されていた)

私も「下品なものの面白さ」を分からぬでもないし、別にいいんですけれども、何もここまで下品にしなくても、面白いものって作れそうなものなのでは?「面白い」イコール「下品」だとでも言わんばかりの下品さ。どこか私の知らないところで「世界下品コンテスト」でも行われていて、熾烈なデッドヒートがなされているのではないか?と疑うほどに、どれもこれも下品。

ミュージカルって、たいてい「下品」か「子供向け」のどちらかだよね、という話を友人としたのです。『マイ・フェア・レディ』のように、下品でも子供向けでもない「大人のミュージカル」も存在するけれど、数が少ない。『オペラ座の怪人』、『サウンド・オブ・ミュージック』は下品ではないけれど、子供向けですよね。「エンジェル・オブ・ミュージック」「ドレミの歌」・・・明らかに子供向けね、子供向け。大人が童心に帰って楽しむだけの内容は持っている、とは思いますが・・・。

そう言えば昔、ドイツのオペレッタの映像をいくつか見た時にも、何て下品なんだろうと思ったことがありました。
ミュージカルって、オペレッタの流れを汲んでますよね・・・。

ミュージカル界だって、何も下品な作品ばかり作りたいわけではないのでしょうが、音楽劇としては後発だから、良い脚本は先にオペラに取られちゃってるんですね、きっと。例えば『セビリャの理髪師』なんか素材としてはミュージカルに向いていそうだけれど、やろうと思ったらロッシーニより良い音楽を作らなくちゃいけなくって、そんなのは絶対に無理なのです。

ミュージカル映画『プロデューサーズ』は、ミュージカル版の『ハムレット』の舞台が興行的に大失敗する場面から始まる。良い小説、良い戯曲が必ずしも良いミュージカルになるとは限らない。良い脚本は、それほどたくさんあるわけではない。だから早い者勝ち。

ヴィクトル・ユゴーの小説だったら、『リゴレット(王様はお楽しみ)』はオペラに先に取られてしまって、でも『レ・ミゼラブル』は残っていたわけです。なぜ残っていたのかというと、オペラは革命される側の人々が作っていたから、革命する側の話には手を付けなかったのでしょう。ロッシーニは復古王政のシャルル10世の戴冠を賛美するオペラを書いているし、馬車に乗っている時に怒れる民衆に取り囲まれた恐怖の体験もあったそうな。ミュージカルは逆の「革命する側」で、だから盗人とか娼婦とか安宿の汚い亭主とかが出てくることになるのですね・・・。
(ユゴーはなぜ両方の世界を書けたのだろう?)

Do we fight for the right
To a night at the opera now


オペラって、「金持ちの腐敗の象徴」だったんですよね。
ソプラノ歌手が毛皮を着て劇場入りする際に、民衆から卵を投げつけられたっていう話も聞いたことがありますね。(たしかライナ・カバイヴァンスカが自分の体験談として笑いながら話していた)

『オペラ座の怪人』を見ていると、オペラ座を物語の舞台としていながら、オペラという旧態的な芸術を蔑視しているような箇所が見受けられますね。クリスティーヌの歌唱力では、パリ・オペラ座で成功することは難しいと私は思うのだけれど・・・。
・・・・・・。

別に、ミュージカルは私も好きですけどね・・・。

2012年11月14日 (水)

ミュージカル《RENT》あれこれ

いまシアタークリエで《RENT》が上演されていますが、一応プログラムを購入してみました。
あの程度のあらすじで、初めて見る人は理解できるのでしょうか・・・?

このミュージカルは、プッチーニ作曲のオペラ《ラ・ボエーム》に着想を得ています。私は先に《ラ・ボエーム》を見て、あとから《RENT》を見ましたが、日本のレント・ヘッズたちは、ちゃんと《ラ・ボエーム》を見ているのでしょうか??
【《ラ・ボエーム》を見ずにレント・ヘッズとは言わせない】

《ラ・ボエーム》          《RENT》
ロドルフォ RODOLFO 詩人・・・・・・・ロジャー・デイヴィス ROGER DAVIS
ミミ
 MIMI お針子・・・・・・・・・・・・・・・ミミ・マルケーズ MIMI MARQUEZ
マルチェッロ
MARCELLO 画家・・・・・マーク・コーエン MARK COHEN
ショナール SCHAUNARD 音楽家・・エンジェル・デュモット・シュナード ANGEL DUMOTT SCHUNARD
コッリーネ COLLINE 哲学者・・・・・・・トーマス・B・コリンズ(通称トム・コリンズ)THOMAS B. COLLINS
ムゼッタ MUSETTA 肩書きなし・・・モーリーン・ジョンソン MAUREEN JOHNSON
ベノア BENOIT 大家・・・・・・・・・・・ベンジャミン・コフィン3世(通称ベニーBENJAMIN COFFIN

というわけで、役名の頭文字が同じになっています。
(ジョアンヌに相当する役は《ラ・ボエーム》に出てこない)

ロドルフォとミミが付き合っている。
マルチェッロとムゼッタが付き合っている。
ショナールとコッリーネは付き合っていない(たぶん)。

《ラ・ボエーム》は1830年代のパリが舞台。ミミは、お隣さんのロドルフォの部屋へ、ロウソクの火を借りに来る。そこで鍵を落としてしまい、ロウソクの火が消えてしまい、ロドルフォがミミの手を握りしめて、恋が芽生えるのでした。
あー、恋って、こんなに簡単に芽生えるものなのだねえ・・・。
(なぜ私には芽生えないのかねえ・・・)

1830年代のパリが舞台ならば、ロウソクの火を借りに来るのも分かるけれど、現代のニューヨークが舞台だったら、ロウソクは使わないだろう・・・と思いきや、《RENT》のミミもロウソクの火を借りにやってくるのだった。麻薬を吸うのに使うためのロウソク(爆)

《RENT》は、《ラ・ボエーム》と全然違う話になっているけれど、随所でリンクしてるんですね。だから、《ラ・ボエーム》を見ていないと、よく分からないところが出てくると思います。

私がおすすめするのは、1982年1月にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演された《ラ・ボエーム》の映像です。たぶん日本語字幕つきのDVDが入手できるはず。
指揮はジェイムズ・レヴァイン。ロドルフォは3大テノールの1人ホセ・カレーラス。ミミは本当の病人みたいに見えるテレサ・ストラータス。(ミミは肺病で死にます)

あの《ラ・ボエーム》がニューヨークに渡ると、こういうふうになるのか~と感心する。
《ラ・ボエーム》が日本に渡ると、どういう作品になるだろう?
誰か作らないの?

※橋下さんが「文楽はライオンキングを見習うべき」とか何とか言ったそうですが、ライオンキングはミュージカルの中で1番の成功例ですね。失敗例はその何倍もあるんですよ。ライオンキングは上演料を払って上演させてもらっている借り物でしょう。ライオンキングに匹敵する日本製ミュージカルはこれまで1本もありません。【劇団四季こそライオンキングを見習うべき】
ブロードウェイでは、もう長らくヒット作品が出ていません。《RENT》はブロードウェイで久々のヒットだったんです。それも1996年のことで、あとに続くヒット作が何かありますか。昔のヒット・ポップスを数珠つなぎにしたような作品か、演出焼き直しのリバイバルばかりでしょう。
それに文楽はライオンキングみたいなことをやりたいんじゃないんです。文楽は文楽をやりたいのです。もう橋下さんにはウンザリです~~。何も知らない人がトップに立ったら下の人は悲惨~~。助けて~~。

2012年11月12日 (月)

シアタークリエ《RENT》

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先週、シアタークリエで《RENT》を見てきました。

トム・コリンズを歌ったTAKEさんは、はじめはあまり目立たない感じでしたが、エンジェルが死んだあとに歌うI’LL COVER YOUが断然素晴らしくて、もうボロ泣きしてしまいました。
出だしのところで、すごいテンポを落として歌っていました。カッコよかったですね。

このミュージカルをブロードウェイで見たときは、とにかく衣裳がケバくてウッ!って感じだったのですが、今回の演出では、抵抗なく見れました。(同じ担当者だそうですが・・・)

《RENT》の日本語訳上演は初めて見ました。
WITHOUT YOU、I’LL COVER YOU、TAKE ME OR LEAVE MEなどは良く翻訳されていると思いましたが、WHAT YOU OWN、SEASONS OF LOVE、TANGO:MAUREEN、LA VIE BOHEMEは今ひとつ・・・と言いますか、見ている人に意味が全く伝わらないと思う。特にLA VIE BOHEMEは日本語に翻訳不可能なのだと思いました。

このミュージカルは、アメリカの現状というものを、よく表した作品だと思います。

■私のアメリカ観(主にオペラから得た知識なのでとても怪しい)

16世紀に、ドイツのマルティン・ルターが宗教改革を起こしましたでしょう。教会に反抗する者=プロテスタントの登場です。(protest=異議を申し立てること、抗議)
抗議を受けたカトリック教会は、黙って聞いていたわけではない。
足元を見直して腐敗を改める、という内部改革も行ったけれども、同時にプロテスタントを弾圧した。弾圧と言いいますか、大量虐殺ですね。
カトリックの教会は、聖書に書かれていないことも、たくさん行っています。その中には、贖宥状〔しょくゆうじょう〕(免罪符)の発行など、今からは考えられないような悪い習慣もありました。
プロテスタントは、教会を通さずに、聖書との直接的な対話を重視した。
しかしカトリックにしてみれば、それは文句を言われる筋合いのない事柄であった。
聖書には全てが書かれているわけではない。
結婚式の挙げ方、葬式の出し方、布教の仕方、貧しい人を救うための資金の集め方、配分の仕方、そういうことは細かく指示されていない。
どうするか?
神様が姿を現して「こうしなさい」と直接指示を与えてくれたら良かったのだけれど、それは望めない。
だから「公会議」という場で多数決で決めていた。
公会議で決まったことは、神のご意志。
多数決で少数だった意見は抹殺。
少数だった意見を捨てられない人は異端。
みんなで決めたのだから文句ないでしょう。
しかしドイツの農民とかフランスの貧民は「みんな」の中に入っていなかったのでした。
宗教改革に対して、カトリックの教会側は、反動宗教改革を行った。
プロテスタントや異端者の弾圧。
しかしプロテスタントだって人数が多いので黙っていない。
宗教戦争は、カトリックの本拠地イタリアよりも、フランス、イギリスで激しく起こった。
●参考オペラ→マイヤベーア作曲《ユグノー教徒》
(ベッリーニ作曲《清教徒》はあまり参考にならない)
宗教戦争は本当に本当に激しい争いであったそうな。【殺しあい】
フランスやイギリスの国王は、両者(カトリックとプロテスタントの両方)の立場を立てて中道路線を狙ったこともあったが、「両方」では駄目なんだそうです。
「片方」=「我々」だけでないと駄目、両者は両立しない。
しかし、「やられたらやりかえせ」という人たちばかりではなかった。
カトリックにとっては「正義の戦い」であったけれども、
プロテスタントにとっては、それは悪い行いであったはずです。
聖書には「汝の敵を愛せよ」と書かれているでしょう。
聖書を重視したら、戦争はできないはずなんです。
だから黙って殺されてしまったプロテスタントも大勢いました。
●参考オペラ→プーランク作曲《カルメル会修道女の対話》
ちょうどその頃にヨーロッパ人が発見したのが新大陸(アメリカ)でした。
戦争したくなかったプロテスタントたちが大勢海を渡りました。
それは、祖国を捨てる悲しい旅であると同時に、
自分たちの理想の国を白紙の状態から作り出す希望に満ちた旅でもあったでしょう。
※実際は現地人(ネイティヴ・アメリカン)がいたわけですが、だいぶ殺されてしまいました・・・。
神が与えたもうた新天地。
古い教会の支配を逃れて。
ところで、
海を渡ったのは、
聖書の理想をこの世に具現化しようという希望に満ちた真面目な人たちばかりではなかった。
そもそもアメリカ大陸は、宗教上の要請によって発見されたのではなかった。
黄金があるに違いない、香辛料があるに違いない、
つまり商魂たくましい人、野心にあふれた人。
新しい土地に行ってみたい、フロンティア精神の強い人。
現状の生活に不満な人。
ここじゃないどこかへ行きたい人。
つまり、ボヘミアンですね。
そうして現代においても、アメリカでは、
プロテスタントと、
プロテスタントでない人とが、
常に対立している。
ウィキによりますと~~ウィキウィキ!
アメリカ合衆国(現代)の宗教分布は、
プロテスタント58%だそうです。
そして、全人口の4分の1が福音派だそうです。
福音派ってご存じですか。
聖書に書かれたことを1字1句信じる宗派。
子どもは学校に行かせないそうです。
学校は聖書に書かれていることと異なることも教えるから。
天ではなく地が動いているなどと教えるから。
だから親が自分たちで育てるんだそうです。
ガリレオが「それでも地球は回っている」と言って歴史が転換したわけですが、
その転換前の感覚で生きている方々、福音派。アメリカ全人口の4分の1。
アメリカ合衆国は、政教分離がきっちりと行われている国だそうですが、
実際は大統領選のたびに、
プロテスタントと、
プロテスタントでない人とが、
対立を起こす。
大統領選の主たる争点は、
・堕胎を認めるか
・ゲイ同士の結婚を認めるか
の2点なのだそうです。
これは前回の大統領選のときにテレビで言っていたのです。
(うちは1年半前からテレビのない生活なので今回のことは知らない)
大統領選だったら、もっと他の争点はないのだろうか?
税金のこととか、社会福祉体勢のこととか、軍事のこととか、外交のこととか、教育のこととか。
つまりプロテスタントの人々というのは、
理想に燃えていて、
口出しをしてくるわけなのです。
宗教的な観点から。
堕胎の賛否は、宗教的なものでしょう?
日本人には、よく分かりませんね。
《RENT》の楽曲の1つ「ラ・ヴィ・ボエーム」は、
プロテスタントに対するプロテストの歌だと思います。
プロテストと言っても、歌で陽気に抗議しているわけですが・・・。
しかし、プロテスタントの人がこの曲を聞いたら、
顔に青筋を立てて激怒するに違いないのです。
でも、文句は言えないはずですよ。
だって彼らプロテスタントは、人と人とが対立しない理想の国を作るために、はるばる海を渡って来たんですから。
【アメリカ人はみんなどこかから移り住んで来たボヘミアン】
【その土地はもともと誰のものでもない】

いつにも増していい加減な文章を書いてしまいました・・・。すみません。

2011年10月31日 (月)

ブロードウェイ・ミュージカル《ヘアー》

ずっと見てみたいと思っていたミュージカル《ヘアー》。
なぜ見てみたいと思ったかと言いますと、ユーミンがむかし話題にしてたんですね。私はユーミン・ファンなもので。それで10代のころから興味があったのですが、見る機会がなかったわけです。

今年買った、ミュージカル《レント》のCDの帯に、
60年代の『ヘアー』、70年代の『コーラス・ライン』、そして90年代を代表するのはこの『レント』!
と書かれていました。
それで~~、
やはりこれは見てみなくては、と思い新宿タワーレコードに行きますと、DVDはなかったのですが、ブルーレイがありました!
やっと見られました。

うーん、かなり下品な感じ・・・。
アメリカでは今でもたまに上演されているようですが、日本で再演されることはなさそう。
ベトナム戦争の話ですしね。

アメリカって、そんなに麻薬が浸透しているのですか。

単語の羅列ソングが多い。
《レント》の「ラ・ヴィ・ボエーム」も、ここからかなり影響を受けてるんじゃないかな。

今年は赤坂Actシアターで《コーラス・ライン》も見たのですが、これも下品だった・・・。

下品なのも、嫌いじゃないけれど。

貴族同士の諍い(ロミオとジュリエット)が、チンピラ同士の抗争(ウエストサイド・ストーリー)に。
若い芸術家たちの恋愛(ラ・ボエーム)が、麻薬&エイズの話(レント)に。

アメリカに渡ると、すべての話が庶民的に。
庶民的って言うか、それ以下な感じに。

いや、アメリカには貴族はいないので、そもそも貴族の諍いが起こりようがない・・・。
アメリカには王も王妃も貴族も、かつて1度も、いたことがないのだった。
平民しかいない国。

考えてみたらアメリカ人って、ほとんどみんなボヘミアンみたいなものなんですよね。
建国200年だもんなあ・・・。

映画と舞台ではずいぶん違う内容になっているようですが、舞台ではどんな演出になるのだろう。日本で上演されないだろうか。《ヘアー》。

2011年10月 6日 (木)

ミュージカル《レント》ラ・ヴィ・ボエーム

ミュージカル《レント》 ラ・ヴィ・ボエーム
RENT》 LA VIE BOHEME
歌詞解釈

このブログから詩章解釈を取ったら跡にはペンペン草1本残らない・・・。
(記述が間違っていても怒らないで!)

まず「LA VIE BOHEME」というタイトルですが、これはフランス語ですね。エディット・ピアフの有名なシャンソン「La Vie en rose ラ・ヴィ・アン・ローズ(ばら色の人生)」からも分かるように、VIEというのは「人生、生活」という意味(LAは定冠詞)。BOHEMEは「ボヘミアンの」ということです。BOHEMEにはEの字が2回出てきますが、最初のEには本来、アクサンテギュという記号が付くはずです。私は4日間ほどフランス語を習ったことがありますが、その怪しい知識によると、フランス語のEは通常ウと発音し、アクサンテギュが付くとエの発音になるのでした。オペラ《La Bohème ラ・ボエーム》にはアクサンテギュが付いているけれど、「LA VIE BOHEME」では付いていない。外来語として、もう英語になってしまったのでしょう。

歌詞の中にmuchoという単語が出てきますが、こちらはスペイン語ですね。(「ベサメ・ムーチョ」もっと口づけを、なんて歌もありました)
ニューヨークは人種のるつぼですからね。外来語も多いのでしょうね


本来は「ボヘミア人」という意味の「ボヘミアン」という語を、比喩的に「定住性に乏しく、異なった伝統や習慣を持ち、周囲からの蔑視をものともしない人々」という意味で使い始めたのはフランス人で、その起源は15世紀にまでさかのぼる。これは当時フランスに流入していたジプシー(ロマ)が、主にボヘミア地方(現在のチェコ)からの民であったことがその背景にある。
これが19世紀ごろになると、定職を持たない芸術家や作家、または世間に背を向けた者で、伝統的な暮らしや習慣にこだわらない自由奔放な生活をしている者をさす言葉に変化した。そのニュアンスとしては、良い意味では「簡素な暮らしで、高尚な哲学を生活の主体とし、奔放で不可解」という含意、悪い意味では「貧困な暮らしで、アルコールやドラッグを生活の主体とし、セックスや身だしなみにだらしない」という含意がある。
ウィキペディア「ボヘミアニズム」より


もともとフランスで生まれた言葉なので、ここ(RENT)でもフランス語をつかっているのですね。

ベニーのセリフに
This is Calcutta, ここは(この状況は)カルカッタ、
Bohemia is dead ボヘミアンは死んだ(滅んだ)

という言葉が出てきます。カルカッタというのはインドの地名ですが、俗に「世界一汚い町」と言われていて、道路はホームレスだらけだそうです。そこかしこで小便の臭いがするそうです。
オペラ《ラ・ボエーム》を見ていると分かりますが、ボヘミアンというのは、定住しないのが特徴。《ラ・ボエーム》の登場人物たちは、一応は屋根裏部屋に住んでいる設定なのだけれど、フッといなくなって、フラッと戻ってくる。酒場の壁に絵を描きながら寝泊りさせてもらったり、楽器を教えに行ったり。しかしそれは、家がないのとは違う。お前たちは住む家さえないホームレス同然の立場で、ボヘミアンとは言えないだろう、そんないいものじゃないだろう、とベニーは皮肉を言っているわけです。

ここからマークたちの反撃が始まります。
The late great daughter of mother earth 母なる大地の偉大な娘
lateは「故」「今は亡き」という意味)
これは聖母マリアをさしています。なぜここに聖母マリアが登場するのか?それは分からなくて当然なんです。
No one knew her worth 彼女の価値は誰も知らなかった
つまり2千年ものあいだ誰も考えたことのない衝撃の事実がここで初めて発表されるわけです。要するに、聖母マリアはボヘミアンだったと言っているわけでしょう。「聖母マリアはボヘミアン」と歌詞に明記されているわけではありませんが、そういう文脈になっているでしょう。聖母マリアもいろいろな土地をさすらっていたようですし、無から有を生み出したという意味で、マークにとっての「ボヘミアン」の定義と合致するんですよね。
明記するとヤバいから明記しなかったのでしょう。(そういうことを言うと、本気で怒る人がいますから・・・)

We raise our glass 僕たちはそれにグラスを捧げよう
you bet your ass to あなたたちはそれにケツを向けるだろうけれど


「僕たちはそれが大好き」「あなたたちはそれが大嫌い」という対比になっていると思います。youというのは、ベニーとか、ベニーが連れてきたスーツ姿のおじさん(役名ミスター・グレイ)とかです。「あなたたちは嫌いだろうけど」という言葉を、「あなたたち」が嫌いそうな汚い言い回しで言っているのが愉快なところです。オリジナル・キャストのアンソニー・ラップの歌唱は、そのあたりの表現が実に巧みです。

このあと、to~、to~、to~と単語が羅列されていきますが、
僕たちは~にグラスを捧げる
と、
あなたたちは~にケツを向ける
の、
2つの「~に」がtoにかけられています。
toには2つの意味がかかっている。
同じ物でも、それを好きな人と、それを嫌いな人がいるものです。
煙草が大好きな人と、煙草が大嫌いな人。
パチンコが大好きな人と、パチンコが大嫌いな人。
2つの側面を照射している。
私が好きなものに文句を言うな、という歌だと思います。
私がそれを好きなのの何が悪いの?という歌だと思います。

no pension 年金なし
日本では「国民皆年金」といって全員が年金に加入しますでしょう。勤め人の場合は、本人の意思と関係なく、給与から天引きされてしまいます。そういうのって、共産主義的ですよね。アメリカはそういうことをしないのです。「入りたい人は自分で個人年金に入ってね」という考え方で、政府が介入しないのです。「小さい政府」と言うそうです。健康保険にしても、日本では保険証を出せば医療費3割負担とかで済みますが、アメリカは「入りたい人は自分で入っといてね!」という考え方なので、貧乏な人は健康保険に入っていないんです。それでいざ病気になると、満足な治療が受けられない。RENTの作者ジョナサン・ラーソンは、プレヴュー初日の前夜に大動脈瘤破裂で急逝してしまいましたが、数日前から強い胸の痛みを訴えていて、これが日本だったら精密検査でも受けていたのだろうけれど、アメリカだったから(そして貧乏だったから)、かかった医者に胃腸カゼだと言われて、それ以上検査を受けなかったのだそうな。そういうわけで、このno pensionは、アメリカ社会を反映した味わい深い歌詞となっております。

to riding your bike, 誰かの自転車に乗って
Midday past three piece suits 昼間にスリーピーススーツを着た人たちを追い越す

my bikeではなくyour bikeというのはどうしたことでしょう。むかし「盗んだバイクで走り出す」という歌がありましたが・・・。

to choice 中絶
RENTの歌詞の日本語訳は何種類か手に入ると思いますが、このto choiceの部分は「堕胎合法化」などと訳されています。つまり堕ろすか堕ろさないか「選択」するということでしょうか。アメリカ人にとって、中絶を認めるか認めないかということは非常に重要な事柄なのだそうです。他人の行った中絶を強く強く非難する人が大勢いるのだそうです。

何か、隠語がたくさんつかわれているようですが、日本人にはよく分かりませんね。1つ1つ説明してくれるアメリカ人の友達が現れるといいのに!代わりに浄瑠璃の詞章を1つ1つ解説してあげるよ!

To being an us for once instead of a them 僕たちが僕たちであって彼らでないことに乾杯
「自分はあんな人間じゃなくて良かった」と思うことが人生には何度もあるものでございます。

ミソ・スープ5つ、海草サラダ4つ、大豆バーガー3つ、豆腐ドッグ2つ、肉なしパスタ1つですね
ゲッ
どれも味は同じさ
目をつぶればね

このあたりに登場するのは日本食ですか?アメリカ人に日本食を馬鹿にされる覚えはありませんが?
しかしアレですね、ハンバーガーなら誰が作っても同じかもしれないけれど、味噌汁には「美味しい味噌汁」と「美味しくない味噌汁」がありますよ。RENTの映像をよく見れば、注文を取っているのはアジア系の青年(日本人ではない)ではありませんか?ニューヨークでアジア人(日本人ではない)が作った日本食なんて、私だって「ゲッ」と思いますよ。
ニューヨーカーって、わりといろいろな国の料理を食べているのかもしれませんね。正統じゃない感じの。

とにかく韻を踏みまくっていて、たまに前後の文脈と関係ない単語(韻は揃っている)がパッと出てきたりしているようですが、そこがまたカッコイイのかもしれません。

ここに羅列されている単語の全てを理解する必要はないと思いますが(それは無理)、「オズの魔法使」くらいは知らなくてはいけません。アメリカ人はみんな知っているミュージカル映画です。アメリカの古典です。スミソニアン博物館には、ドロシーが履いたルビーの靴が展示されているのだとか・・・。

それから、RENTというミュージカルを楽しみたいのであれば当然、オペラ《ラ・ボエーム》を知らなくてはならないでしょう。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場では、1900年に《ラ・ボエーム》を初演し、以後ほぼ毎年上演しています。上演しなかったのは6回だけだそうです。これもアメリカの古典です。

聖書には「ソドム」という町が出てきますが、人々が欲望のままに生きたので神の怒りを買い、滅ぼされてしまったそうです。キリスト教徒が同性愛を弾劾するのは、聖書のこのソドムの記述に基づいているのだそうな。
しかしそれは神と私との間の問題であり、あなたに非難されるいわれはないよ、とLA VIE BOHEMEでは主張しています。
一方、聖書にはこういう話も出てきます。浮気をした女に皆で石を投げて死刑にしようとしていたところ、イエスが女を擁護し、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言ったそうです。それを聞いて、誰も石を投げられなかったそうです。キリスト教では、人間は全て罪(sin)を持っているのです。人を裁くのは神であり、人は人を裁けない。ソドムがどうとか言うのであれば、こっちの記述はどうなるわけ?という歌詞です。
Let he among us without sin 罪のない人だけが
Be the first to condemn 他人を非難するがいい


今日はクリスマス・イヴという設定なので、キリスト教に関する言葉がたくさん出てきます。「ソドム」「マグダラのマリア」キリスト教徒なら誰でも知っている話ですが、日本人はあまり知らないかも?
最も有名なオペラ歌手マリア・カラスは、「マグダラのマリア」を題材にした新作オペラを熱望していたそうですが、実現しませんでした。)

オペラの《ラ・ボエーム》も、「クリスマス・イヴに恋が芽生える」という設定になっています。こちらもぜひご覧ください。メトロポリタン歌劇場で1982年に収録されたライヴ映像が私のお薦めです。3大テノールの1人ホセ・カレーラスが主演しています。演出も超豪華。泣けますよ。

自分で言うのもナニですが、私はわりと真面目で上品な人間なので、もっと緩く生きたいなあと思ってLA VIE BOHEMEを聞くのですが、もともと緩い人が聞いたら、どうなってしまうのだろう・・・。
・・・・・・。

2011年8月30日 (火)

ロンドン・ミュージカル《キャッツ》あれこれ

《キャッツ》を見終えた親子の会話

「ねえ、お母さん、ジェリクル・キャッツって何?」
「あら、舞台で説明してたじゃない」
「説明してた?」
「してたわよ、何回も何回も」
「でも、よく分からなかったよ?」
「あれで分からなかった人には、ずっと分からないわ」
「お母さんは分かったの?」
「ん~、要するに、あそこにいた猫たちがジェリクル・キャッツよ」
「ねえ、ウチのミケもジェリクル・キャッツなの?」
「ん~、そうなんじゃない?」
「じゃあ3つの名前を持ってるの?」
「持ってるわよ」
「じゃあ2つ目は?」
「ん~~~、ジューダスキスタロウよ」
「ジュ?」
「ジューダスキスタロウ」
「お母さんは、どうして2つ目の名前を知ったの?」
「訊いたら教えてくれたのよ」
「僕には教えてくれてないよ」
「だって訊いてないでしょう」
「じゃあこれからミケのことジューダスキスタロウって呼んでいい?」
「ダメよ」
「どうして?」
「それは猫同士の名前だから、人間はミケって呼ぶのよ」
「じゃあ3つ目の名前は?」
「それは訊いても教えてくれないのよ」
「上に昇ってった猫は何?」
「何って何?」
「なんでみんなに嫌われてたの?」
「嫌われるようなことしたんじゃないの」
「嫌われてるのにどうして選ばれたの?」
「歌が上手かったからじゃないの」
「歌の上手い猫が選ばれるの?」
「違うわ」
「じゃあ何で選ばれたの?」
「それは爺さん猫が選ぶのよ。基準は爺さん猫しか知らないのよ」
「お母さんも知らないの?」
「(子どもって、どうしてこんなに面倒くさいのかしら・・・)」

※家に着くまで続く

2011年6月13日 (月)

ブロードウェイミュージカル《RENT》あれこれ

《RENT》は、ブロードウェイで12年間も上演されていたそうです。
今後は上演される機会があるかどうか分かりませんが・・・。

長期間にわたって上演される作品って、それほどたくさんあるわけではない。

台本・作詞・作曲を担当したジョナサン・ラーソンは、プレヴュー初日の前夜に、大動脈瘤破裂のため亡くなってしまったのだそうです。35歳。

《RENT》の中で、死ぬ前に名曲を残したいというような歌詞が出てくるけれど、それを実現して本当に死んでしまった。ジョナサン・ラーソンは幸せだっただろうか。

フランス・オペラ随一の人気作品《カルメン》は、初演時は大不評だった。作曲者のジョルジュ・ビゼーは、初演の不評を見届けてから死んでしまった。その後の好評は知らぬままに。

ゴッホの絵は、生前にはたったの1枚しか売れなかったという。

彼らが、その後の自作の人気を知っていたら、どんなにか幸せであっただろうに・・・。

ビートたけし 俺、心配性というか、人一倍気にするほうだからね。特に五、六年前はちょっと・・・殴り込んだりなんかした時がいちばんピークだった。いちばん被害者意識が強くて、いろんなことが心配になってた。ただ、この二、三年なんだけどね、逆に言えば心配ごとがあるほうが精神的には安定してきているのね。
松任谷由実 例えばどういう心配ごとがいいの。
たけし 実に些細な心配ごとなんだけどね。前はそういう些細な心配事が頭の中でジャンジャンでかくなっちゃったの。そいでそういう問題に対決して解決しようと思う時代だったのね。これは絶対どうにかしなくちゃいけない、と。だけど最近はそういう心配がいっぱいないと逆にダメなんだよ。貸し借り関係みたいなことばっかり考えててね、いやなことがあるでしょう。些細なことから始まってさ、もっと大きい、仕事で失敗したとか、映画で失敗したとかするとね、これだけ失敗が増えればプラスがどっかにあるなというか、そんなこと考えて逆に安心すんの。
松任谷 おんなじ、おんなじ!
たけし 片っ方がうまくいくと、どっかにツケが回ってくるんじゃないかって心配になる。これはまずいなって思って。
松任谷 私も思うなあ。
たけし だから仕事に関してはあんまり失敗したくないから、いやなことは些細な身の回りのこととか、家庭とか、そういうことであって欲しいと思うんだよ。
松任谷 ほんとにそうだわ。
たけし 幸せな家庭をいいなって思ってファミリーという形でフワッとすると、そのツケは絶対仕事にきそうな気がしてね。俺、子供んときから欲しいものをパッとそのまんまもらったことないんで。必ず一部っていうか、満たされないままきてるからね。満たされたものをポンと与えられちゃうとどうしようかと思って、これはまずいなと思って、悪いことをしてるような気がしてしょうがない。
(中略)
たけし 松任谷さんもそうだけど、人を楽しませたり、盛り上げたりするっていうことは、へたしたらそいつらの生活まで変えちゃうってことでしょう。例えばコンサートを見て帰ったら、その観客にとっては、その後の何時間かは頭の中でそれが渦巻いてて、男の子と一緒にいようが、お茶飲もうが、一瞬にして全部変わってしまっているわけじゃない。そういうものを人に与える人は、その分の跳ね返りが自分のところにこないとさ、まずいよね。
松任谷 えっ?
たけし 自分のとこにそのバチがこないとさ。バチだもん。お客さんも楽しんで私も楽しみましたっていうわけにはいかないんだ。どっかでお客を楽しませた部分だけの跳ねっ返りを、やるほうが受け取らないといけないんじゃないかと思うんだよ。

「わたしは、与える側の人間よ」かつて、彼女(マリア・カラス)は言った。「自分自身はあまり幸せじゃなくとも、人には少しだけ幸せを与えたい。音楽は、わたしの人生を豊かにしてくれたわ。願わくは、聴衆の人生も豊かにしてほしい--いくぶんかは、私の力を通じて。オペラハウスに来る人が、より幸せに心満ちて帰っていくことができれば、わたしの目的は達成されるのよ」

他人の人生を長期間にわたって眺めることがありますか。
歌舞伎俳優の人生を見ていると、
こういうところで華やかな襲名があって、
ここで病気をして、
スキャンダルがあって、
いいことばかりじゃないんだなあということが実感できます。

イヤなことがあったら、その分のいいことがあるだろうか?

愛する人が死んでしまった、とか、
失業した、とか、
大きな悲しみが1つあると、全てが不幸に見えてしまう。

イヤなことがあったら、その分のいいことがあるだろうか?

2011年6月12日 (日)

《RENT》放送

6月14日にBSプレミアムで《RENT》が放送されるようです。見たことのない方、ご覧ください。

ウチはまだBSが見られないのですが~~。
テレビもブラウン管~~。
見られなくなったら、それでもいいかと思っている今日この頃・・・。

最近は、テレビのない家が増えてるみたいですね。

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