《RENT》は、ブロードウェイで12年間も上演されていたそうです。
今後は上演される機会があるかどうか分かりませんが・・・。
長期間にわたって上演される作品って、それほどたくさんあるわけではない。
台本・作詞・作曲を担当したジョナサン・ラーソンは、プレヴュー初日の前夜に、大動脈瘤破裂のため亡くなってしまったのだそうです。35歳。
《RENT》の中で、死ぬ前に名曲を残したいというような歌詞が出てくるけれど、それを実現して本当に死んでしまった。ジョナサン・ラーソンは幸せだっただろうか。
フランス・オペラ随一の人気作品《カルメン》は、初演時は大不評だった。作曲者のジョルジュ・ビゼーは、初演の不評を見届けてから死んでしまった。その後の好評は知らぬままに。
ゴッホの絵は、生前にはたったの1枚しか売れなかったという。
彼らが、その後の自作の人気を知っていたら、どんなにか幸せであっただろうに・・・。
ビートたけし 俺、心配性というか、人一倍気にするほうだからね。特に五、六年前はちょっと・・・殴り込んだりなんかした時がいちばんピークだった。いちばん被害者意識が強くて、いろんなことが心配になってた。ただ、この二、三年なんだけどね、逆に言えば心配ごとがあるほうが精神的には安定してきているのね。
松任谷由実 例えばどういう心配ごとがいいの。
たけし 実に些細な心配ごとなんだけどね。前はそういう些細な心配事が頭の中でジャンジャンでかくなっちゃったの。そいでそういう問題に対決して解決しようと思う時代だったのね。これは絶対どうにかしなくちゃいけない、と。だけど最近はそういう心配がいっぱいないと逆にダメなんだよ。貸し借り関係みたいなことばっかり考えててね、いやなことがあるでしょう。些細なことから始まってさ、もっと大きい、仕事で失敗したとか、映画で失敗したとかするとね、これだけ失敗が増えればプラスがどっかにあるなというか、そんなこと考えて逆に安心すんの。
松任谷 おんなじ、おんなじ!
たけし 片っ方がうまくいくと、どっかにツケが回ってくるんじゃないかって心配になる。これはまずいなって思って。
松任谷 私も思うなあ。
たけし だから仕事に関してはあんまり失敗したくないから、いやなことは些細な身の回りのこととか、家庭とか、そういうことであって欲しいと思うんだよ。
松任谷 ほんとにそうだわ。
たけし 幸せな家庭をいいなって思ってファミリーという形でフワッとすると、そのツケは絶対仕事にきそうな気がしてね。俺、子供んときから欲しいものをパッとそのまんまもらったことないんで。必ず一部っていうか、満たされないままきてるからね。満たされたものをポンと与えられちゃうとどうしようかと思って、これはまずいなと思って、悪いことをしてるような気がしてしょうがない。
(中略)
たけし 松任谷さんもそうだけど、人を楽しませたり、盛り上げたりするっていうことは、へたしたらそいつらの生活まで変えちゃうってことでしょう。例えばコンサートを見て帰ったら、その観客にとっては、その後の何時間かは頭の中でそれが渦巻いてて、男の子と一緒にいようが、お茶飲もうが、一瞬にして全部変わってしまっているわけじゃない。そういうものを人に与える人は、その分の跳ね返りが自分のところにこないとさ、まずいよね。
松任谷 えっ?
たけし 自分のとこにそのバチがこないとさ。バチだもん。お客さんも楽しんで私も楽しみましたっていうわけにはいかないんだ。どっかでお客を楽しませた部分だけの跳ねっ返りを、やるほうが受け取らないといけないんじゃないかと思うんだよ。
「わたしは、与える側の人間よ」かつて、彼女(マリア・カラス)は言った。「自分自身はあまり幸せじゃなくとも、人には少しだけ幸せを与えたい。音楽は、わたしの人生を豊かにしてくれたわ。願わくは、聴衆の人生も豊かにしてほしい--いくぶんかは、私の力を通じて。オペラハウスに来る人が、より幸せに心満ちて帰っていくことができれば、わたしの目的は達成されるのよ」
他人の人生を長期間にわたって眺めることがありますか。
歌舞伎俳優の人生を見ていると、
こういうところで華やかな襲名があって、
ここで病気をして、
スキャンダルがあって、
いいことばかりじゃないんだなあということが実感できます。
イヤなことがあったら、その分のいいことがあるだろうか?
愛する人が死んでしまった、とか、
失業した、とか、
大きな悲しみが1つあると、全てが不幸に見えてしまう。
イヤなことがあったら、その分のいいことがあるだろうか?
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