9 能楽

2018年5月14日 (月)

狂言「釣狐」

先週11日(金)に、大阪の大槻能楽堂で、狂言「釣狐」を見ることができました。
長い間ずっと見たいと思っていたのですが、上演頻度が極端に低く、これまで見る機会がありませんでした。私が能楽を見始めてから野村太一郎さんが1度なさったと思いますが、その時は見られませんでした。く、悔しい、しょぼん・・・。
しかし、ついに!「釣狐」を見る機会が私にもやっと訪れたのです。しかもすごい良い席でした。ちゃんと生きてこの日を迎えられるのかなと思ってドキドキしてしまいました。

「釣狐」にしても「花子」にしても、有名な人気曲なのに見る機会がなくて、もっと頻繁に上演すればいいのにと思っていたのですが、今回にしても稀曲なればこそ遠くまで見に行ったわけですし、長い人生の後ろのほうに、そのような新鮮なときめきがまだ残されているのも悪くないと考え直しました。
そして茂山逸平さんの「釣狐」は本当に素晴らしかった。感激しました。

能舞台って、座席の位置によって舞台の見え方が全然違ってくると思いますが、今回私が見た席は、目の前に狐の罠が仕掛けられ、餌を取ろうか迷う狐の向こうに猟師の顔が見えるという、最高の位置でした。他の席の人はちゃんと見えていたのかな?私はこういう種類の幸運のために他の種類の幸運を全て使ってしまっているのではないかと思うくらい絶好の席でした。でもやっぱり今回も隣の席のおじさんは気持ち悪かったけれど・・・。

能楽師や狂言師は、演じながら、どの席から見ると自分がどう見えるのか、180度くらい把握しているのでしょうかねえ?
私が能楽を見るのは、ほとんどいつも正面席からなのですが、「鵺」とか「殺生石」が脇正面から見るとどう見えるのか、ちょっと分からないんですよね。1度見たいと思っているんですけれども。
「離見の見」って、どういう状態を言うのだろう?

花道に立った歌舞伎俳優は360度全方位に向けて美しくないといけない、そういうことを考えて形を組み立てないといけない、というようなことを前の芝翫さんが何かの本に書いていらっしゃいました。

来月は逸平さんの「花子」が見られる予定。無事であれば。

2018年5月 7日 (月)

観世会定期能5月

観世会の定期能を見てきました~。

観世の定期能はむかし3番だったのが2番になってしまいましたが、3番上演するとあいだに昼食を挟むことになり、新しい観世能楽堂は食事をする空間がないので、物理的に無理な感じですね。思い返せば松濤は良き時代でありました。

『朝長』が名演でした!出演者が揃っていて素晴らしかった。やはり能というものは名作を名演として上演する責務があるわけですが、こんなのがいつまで見られるのかなと思って切なくなりました。

朝長は実在の人物ですが、膝を矢で射貫かれたというくらいしか逸話がなく、他の英雄豪傑に比べて個性が弱いと感じますが、それにもかかわらず人の心を引き寄せるのは、彼の最期の言葉、「ただ返す返す御先途をも見届け申さで、かやうになりゆき候ふ事、さこそ言いかひなき者とおぼしめされ候はんずれども、路次にて敵に逢ふならば、雑兵の手にかからん事、あまりに口惜しう候へば、これにてお暇賜はらん」、この健気さによるものではないでしょうか。
前シテの青墓の長者が、この朝長最期の言葉を口にする時、にわかに朝長が長者に乗り移ったかのような、はたまた長者の心が朝長に乗り移ったかのような、得も言われぬ不思議な声の変化が起こり、舞台の緊張が頂点に達しようとしたところ、私の隣の席の婆さんが急に飴玉のビニール袋をビリビリと破り始め、咳が出始めたら飴を食べても良いと思っているらしいけれど、私は許しません。咳が出てしまうのは仕方がないから許すけれど飴は仕方なくないから許さないです。見所は飲食禁止です。

今回、『朝長』を拝見していて、「死の縁」という言葉が特に心に残りました。朝長の死があったから出会ったシテとワキ。そして私たち観客。
この『朝長』という名作は作者不詳だそうですが、成立してから今日までのあいだに、一体何人の人が父や母のような気持ちになって朝長の死を悼んだことでしょうか。
私が死んでも誰も気に留めないと思いますが、朝長は大勢に弔ってもらえて、すごいですねえ。
いいなあ本当の観音懺法。

2018年5月 5日 (土)

三代能

咲いた桜に雨が降るのは、雨に心がないせいでしょうか。それとも雨に心があるせいでしょうか。

今年1月・2月の歌舞伎座で白鸚、幸四郎、染五郎の三代同時襲名がありましたが、能楽の世界では5月3日に「三代能」という公演があり、喜之、喜正、和歌という親、子、孫が出演して、襲名ではありませんが、孫の和歌さん(7歳)の初シテでした。
昭和50年4月に、1つ前の「三代能」で喜正さんが初シテを同じ曲(『合浦』)で勤めたのだそうです(4歳)。
私は1つ前は見ておらず、また次があったとしても見られないと思いますが、今回たいへん珍しいものを拝見し、ご同慶の至りでございます。

43年前の「三代能」で上演した3曲、すなわち『鷺』『熊野』『合浦』が今回も上演されました。
最近は観世の定期も2番になってしまいましたが、昔の定期は3番の能が上演されていました。3番だからこそ分かること、組み合わせの妙というものがありました。その曲の詞章だけを何回読んでいても分からない事柄が、他の曲を見ているうちに分かる、というような不思議な体験がたびたびあったのです。
今回、『鷺』と『合浦』は、「捕まえた動物を放してやる」という内容だったわけですが、『熊野』だって「自分が拘束していた女を自由にしてやる」という点で共通性があるなあと思ったのです。
『熊野』ってどこか物悲しい話だと思っていましたが、けっこう晴れやかな能なのかもしれないと新鮮に感じました。それも、このような番組だったからこそ感じたことでした。

ところで『鷺』という曲は、「鷺を五位に叙してやる」という内容だと思い込んでいたのですが、それはあくまでもオマケで、「六位の蔵人を五位に叙す」という話だったんですね。
鷺は人間が近づいていったら100%飛んで逃げますよね。それを捕まえた蔵人はすごい人ですね。
って言うかそんな無理な注文をよく部下に命令しますよね・・・。
「誰にても取りて参れ(誰でもいいから取ってこい)」
それを言われたのは大臣なのだけれど、大臣は自分ではやらない。
ワキツレがやたら大勢出ているのだけれど、一番下っ端の六位の蔵人がやる羽目になるんですね。誰でもいいことは蔵人が。
「様々の御咸のあまり爵を賜び」
王はそれを見て何を感じたのだろう?
鷺を取ってこなければならない蔵人の悲哀を感じただろうか?

『合浦』を見ていて、この曲に登場する鮫人は、もともと女の子という設定なのかなと思いました。「我妹子が」「龍女は如意の宝珠を」という詞章からも、そう感じられます。和歌さんの初シテにぴったりの曲でしたね。

なぜ王は鷺を捕まえようと思ったのか。
なぜ人は生き物を捕まえようと思うのか。
その執着と権力について、思いをめぐらす公演でした。

2017年6月29日 (木)

能『船弁慶』あれこれ2

能『船弁慶』で、前シテの静は、義経の前で別れの舞を披露します。
その始まりの部分で詠じられるのが、小野篁の次の漢詩です。

渡口の郵船は風静まって出づ
波頭の謫所は日晴れて見ゆ

隠岐に流されていた小野篁が許されて召還された時の船出の詩。篁は、京に戻ってから、かなり出世したようです。だからこの場に相応しいのですね。

ところで、その小野篁が隠岐に「流される時」に詠んだ和歌が、百人一首に採られて有名な

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟

なのだそうです。
小野篁がなぜ隠岐に島流しにされたのか、インターネットで調べるとすぐに分かる、便利な世の中になりました。

さらにインターネットで調べると、頼朝がなぜ義経と仲違いしたのか、理由が書かれていました。

義経が頼朝の怒りを買った原因は、『吾妻鏡』によると許可なく官位を受けたことのほか、平氏追討にあたって軍監として頼朝に使わされていた梶原景時の意見を聞かず、独断専行で事を進めたこと、壇ノ浦の合戦後に義経が範頼の管轄である九州へ越権行為をして仕事を奪い、配下の東国武士達に対してもわずかな過ちでも見逃さずこれを咎め立てするばかりか、頼朝を通さず勝手に成敗し武士達の恨みを買うなど、自専の振る舞いが目立ったことによるとしている。主に西国武士を率いて平氏を滅亡させた義経の多大な戦功は、恩賞を求めて頼朝に従っている東国武士達の戦功の機会を奪う結果になり、鎌倉政権の基盤となる東国御家人達の不満を噴出させた。

特に前者の許可無く官位を受けたことは重大で、まだ官位を与えることが出来る地位にない頼朝の存在を根本から揺るがすものだった。また義経の性急な壇ノ浦での攻撃で、安徳天皇や二位尼を自害に追い込み、朝廷との取引材料と成り得た宝剣を紛失したことは頼朝の戦後構想を破壊するものであった。

そして義経の兵略と声望が法皇の信用を高め、武士達の人心を集めることは、武家政権の確立を目指す頼朝にとって脅威となるものであった。義経は壇ノ浦からの凱旋後、かつて平氏が院政の軍事的支柱として独占してきた院御厩司に補任され、平氏の捕虜である平時忠の娘(蕨姫)を娶った。かつての平氏の伝統的地位を、義経が継承しようとした、あるいは後白河院が継承させようとした動きは、頼朝が容認出来るものではなかったのである。
ウィキペディア「源義経」より


こう聞けば、なるほどとも思うのでございます。(頼朝が酷いことには変わりませんが・・・)

義経は陸奥へ逃げ延びたわけですが、都から妻子を呼び寄せていたのだそうです。
(前に「新しい妻子」と書いてしまいましたが、正妻だそうですスミマセン)

人生って、どうなるのか分からないものですね。

2017年6月25日 (日)

能『船弁慶』あれこれ

先日、観世善正さんの『船弁慶』を見て来たのです。誠に素晴らしい上演でした。
私が能の『船弁慶』を見るのは、たしか3度目くらいだったのではないかと思います。
能を見る前には、必ず詞章を確認するようにしているのですが、今回読んでいて、この作品はなぜ『船弁慶』という題が付いているのだろうかと不思議に思ったのです。不思議な題名ですよね。普通は考えつかないような・・・。
前シテの静と後シテの知盛は、半分しか登場せず、かつ登場していない場面には関係がないのですから、主役ではあっても主題にはなりえない。作品全体を通して出てくるのは子方の義経とワキの弁慶ですから、弁慶が主題の鍵を握っているのでしょうけれども、『船弁慶』の主題とは一体何なのだろう?

主題のことはひとまず置いておきまして・・・。

静が義経と別れたのは実際には吉野の山中ですので、『船弁慶』で描かれる大物での別れは作り話なのですが、それにしても良く出来ているなあと思いました。
白拍子が舞を所望された時には、現在の状況に相応しい舞を披露しなくてはいけないわけですけれども、小野篁が配所から召し返された時の漢詩、そして陶朱公の故事、こういうものが当意即妙にパッと出てくるというのは、本当に憧れですね。
源義経ほどの人物の女であれば、これだけのことが出来なければならない、という理想がこの作品に結実したのでしょうね。
静の舞は「伝え聞く」と始まりますが、陶朱公のことなんて、普通の人は知らないでしょう。伝わってくる人と、伝わってこない人がいるんですよね。歌舞伎の客には言っても分からないので「都名所」に差し替えられてしまうのでしょう。まあ私は「都名所」も好きですけれども・・・。
しかし陶朱公の故事は『義経千本桜』の主題にも関わってきますので、歌舞伎の客も知っていたほうが断然楽しめますね。
私は「陶朱公」も「都名所」も両方楽しめて良かった!

ところで、静に陶朱公の故事が伝わってくるまでには、あいだに何人の人がいたことだろう・・・。
あいだに人が挟まることによって、情報がねじ曲がってしまうということが結構あるものですよね。
義経は、静への別れ話を、なぜ自分で直接伝えずに、弁慶にさせるのだろう。
「ともかくも弁慶計ひ候へ」って、すごいセリフだなあと思う。
私も全部「計らい候え」って言って生きていけたら良かった・・・。

それにしても頼朝はひどい、平家追討の功労者である義経をこんなふうに扱うなんて。
世の中の仕組みというものは、どうなっているのだろう・・・。

「君よりの御諚には、今日は波風荒う候ふほどに、御逗留と仰せ出されて候」
弁慶「何と御逗留と候ふや」
「さん候」
弁慶「これはそれがし推量申して候。静に
名残を御惜しみあって御逗留と存じ候」

ここに出てくる「名残」を別の言葉に置き換えると、「静との最後のセックス」ということでしょう。もっと言えば、「義経にとって人生で最後かもしれないセックス」となるでしょう。武将というものは、いろいろな方法を使って、自分の女を戦場へ連れて行こうとするものです。しかし戦局が極まってくると、ある時点で「ここから先へはさすがに女を伴うことはできない」という状況がやってくる。その「ある時点」と、「そこから先」を描いたのが能の『船弁慶』である、と言えるでしょう。そこまでは女のいる世界、そこから先は男だけの世界であり、「本当の修羅」なのでしょう。
よく、「人生最後の食事には何を食べたいですか」という質問がありますけれども、「これが最後」と知っていて食べると、味わいが違うだろうと思います。味は同じだけれど、味わいが違うんですね。私もやはり前の歌舞伎座の千穐楽の『助六』は特別なものを感じましたし、住太夫師匠の引退公演の千秋楽や、嶋太夫師匠の引退公演の千秋楽は、他の公演とは全く違うものでした。何度も見たことがあっても。
「一期一会」という言葉がございます。2度目のことを最初のことのように感じるのは難しいけれど、今回のことを「これが最後」と思うことはできるのではないでしょうか。つまり本当に最後かもしれないわけですから。全ての事柄を「これが最後」と思いながら生きたなら、毎日を特別な日にできるでしょうけれども、もう少し、もう少しと思いながら気づかずに生きてしまうのが人間というものなのかもしれません。

ここでたいへん素晴らしい和歌を一首ご紹介いたします。
なれなれて 見しはなごりの 春ぞとも などしら川の 花の下かげ
飛鳥井雅経(新古1456

人生最後のセックスくらい主人にさせてやればいいのにと思いますが、それをさせないのが弁慶という人なのですね。私が思いますには、それは弁慶の嫉妬ではないでしょうか。でもきっと恋愛感情の嫉妬ではないですね。別の種類の嫉妬です。同行の家臣たちはもっと早い段階でそれ(女との別れ)を済ませているわけですし、弁慶自身は西塔の武蔵坊に入った遠い昔に、そのような世界とはとっくに決別しているのです。すなわち義経の未練に対する嫉妬なのではないかと思う。その感情にはまだ名前が付いていないので、誰か頭の良い人が命名してあげるとよいでしょう。
弁慶の嫉妬が船を出させるので、それでこの作品の題名が『船弁慶』なのではないかと私は思ったのでした。

※実際には、陸奥まで逃げ延びた義経には、都から呼び寄せた妻子がいたそうな・・・。人生は奥が深い。

2017年6月12日 (月)

能「八島」

私は国立劇場の職員で、現在は公演プログラムの編集を担当しているのですが、定年退職したOBがプログラムをくれってよく部屋にやってくるんですよね。
あの人は役員まで務めて、世代的にも退職金や年金をガッポリ満額もらっている金持ちであるはずなのに、どうしてプログラムを買わずにもらいにくるのかね?と私が言いますと、金持ちというのは得てしてケチなものですよと若い者が言う。
在職期間中に人々の尊敬を集めていたために「この人にはプログラムくらい行っても当然」と思えるのなら全然いいのだけれど、つい先日、4月に採用されたばかりの新人さんに対して名乗りもせずにプログラムをくれって言っていて、この人は一体何なの?と私は思ったのです。謎のクレクレじいさんですか。
年を取ったらクレクレ星人ではなくアゲルアゲル星の住人になりたいものですね、と私は若い人に話しました。あげるのは別に物でなくてもいいでしょう、「面白い話」でも「ためになる話」でも。
「年をとったら自分もああいうふうになりたいなあ」と思えるような素敵な年寄りって、本当に少ないものですね。

久しぶりに能の「八島」を見たのです。
観世流だったのに、どうして「屋島」ではなく「八島」だったのだろう・・・。
それはよいとして、アイが「与市語」じゃなかったんですよね。
「与市語」のほうが絶対に面白いのに、どうして「与市語」にしないのか、私はとても不思議に思うのです。
まあでも、同じ出来事を別の人が語るとこういうふうに違うのか、という点が興味深かった。
そして、アイの語りがいつもどういうふうであるのか知りませんが、今回の語りの中で、「義経はこの場所で死んだのではないけれども、義経の人生にとってここでの戦さが特に重要だったので、きっと彼はここに現れたのだろう」というような印象的な話が出てきたのです。
幽霊って、死んだ場所でなくても出てくるんだなあ、死んだらもう肉体に制約を受けないから、どこにでも出てこられるのだなあ、義経の人生において一番重要な出来事は「弓流し」だっただろうか?弓流し?戦さにおいて弓を流したことは「勝ち」でもなければ「負け」でもない、それは「義経にとって最も重要な人生の局面」というよりは、「人々が義経の人生を眺めた時に一番重要だと思ったポイント」ということではないだろうか?
つまり、人生において何が最も重要か?私は命よりも金よりも名を重視する、ということでしょう。「名を惜しむ」というのは、周りの人々に自分がどのように受け止められるかを気にする、ということでしょう。
生まれついての性質や、抗えぬ定めなど、どうにもならないこともたくさんあるけれど、自分で制御できることもたくさんあるわけでしょう。そして、それこそがその人そのものと言えるでしょう。
自分のイメージを美しくこの世に残したい、他のことはどうでもいい、ということではないですか。
義経はそれに成功したから、この能が3つしかない「勝修羅」に分類されているのでしょう。
最近の政治家は、自らの名を惜しまぬ人が多いようで・・・。

2016年7月25日 (月)

しもほう

8月に下掛宝生流の主催公演『紅葉狩』があるのですが、その事前講座に行ってきました。
(7月22日・金曜日、国立能楽堂大講義室)

全然関係ないけれど、国立能楽堂の大講義室は、1つしかなくてかつ大きくもないのになぜ「大」なのか、全く理解に苦しむ。そして、そこにたどり着くまでの導線も完全におかしい。

今度の『紅葉狩』は、ワキの流派が主催ということで、滅多に上演されない「ワキ方によるクセ」が見られるそうです。

最初に、平維茂(ワキ)の登場場面が実演され、そのあとに「この動きはこういう意味なんです」という説明があったのですが、言われないと分からない動きの意味が新鮮に感じられました。維茂は馬に乗って登場するのだそうです。そんなふうには見えなかったのですが、説明されると馬に乗っているように見えてくるから不思議・・・。

御厨誠吾(みくりや・せいご)さんが、下掛宝生流の歴史を説明してくださいました。御厨さんって、渡辺謙に似ていると前から思っていたのですが、このとき話している姿を見ていたら、別の誰かに似ている気がする、誰だろう、誰だろうと考えて、やっと分かった。豊竹呂勢太夫さんに似ている気がする。顔ではなく、話し方とか、仕草とかが。

最後のほうに質問コーナーがあって、本当は「なぜ夏目漱石はシテ謡ではなくワキ謡を習っていたのですか」と訊きたかったのですが、それは「夏目漱石に訊いてください」ということになってしまうので、「ワキの謡はシテの謡とどういうところが違うのでしょうか」と質問してみました。
ワキ方はシテ方と違って女性を演じることはないし、幽霊でもないし、現実の人間としての存在感や力強さを出すように、と教えられるそうです。

私の個人的な印象ですと、ワキの謡はちょっと声明っぽいと感じることがありますね。

則久英志(のりひさ・ひでし)さんが、いいお声でした。

2016年7月10日 (日)

矢来能楽堂リニューアル

客席が新しくなった矢来能楽堂に初めて行ってきました~。
改修前は、信じられないくらい客席が狭かったのですが、かなりゆったりしたスペースに変身していました。その分、客席数が減ったらしいですが・・・。
昔の日本人は、本当に身体が小さかったんですね。どうしてこんなに大きくなってしまったのだろう。
大きい=良い
大きい=美しい
大きい=カッコいい
というわけでもないような気がするけれど・・・。

私の場合、足は短いのに、やたら座高が高いのです。両親、兄ともに背が低めなのに、私だけ174センチ。そのほとんどが胴体ですよ。
これはおそらく、子供のころから舞台を見ていて、前の人の頭を気にせず見たい、見たい、見えない~、見えない~、見たい~、見たい~と思っているうちに、キリンが高い木の葉を食べるために首が長くなったように、私の胴も長くなったのだ。外国人にも負けないよ!
私の後ろの席の人が気の毒なので、なるべく小さくなって見るように気を付けています。(ただし、自分が見えない場合と、後ろの席の人がうるさい人である場合は、この限りでない)

矢来能楽堂は、壁の窓から外光が入るタイプの能楽堂です。中野の梅若能楽学院会館と、青山の銕仙会能楽研究所も、窓から外光を入れられる能舞台ですね。
私は、能の舞台を日の光で見るのが好きなので、窓がある能楽堂にはちょっと特別な思いがございます。
でも救急車の音が聞こえてきちゃったりしますけどね・・・。
今回は選挙の時期だったので、選挙カーが通るのではないかとヒヤヒヤ。

矢来能楽堂は、表通りからちょっと奥まった位置にあるので、そういう騒音はあまり気にならないみたい。通りから数メートル離れているだけで、全然違うものなんですよね。(部屋を借りる時はこの点に注意しましょう)

昔、四国の金丸座で歌舞伎を見た時、外から鶯の声が聞こえてきて、芝居の内容ともリンクしていて、たいへん感動した思い出があります。
都会では無理ですね。
平成中村座は、駅からかなり離れた位置にテントを建てていても、日によって騒音が気になる時がありますね。

矢来能楽堂の見所の光は、わりと明るい感じですが、窓からの日光はあまり入れていないようでした。(ちょっと遮光処理されていた?)

客席改修にあたって寄付を募っていて、私も少額ながら寄付しましたけれども、インターネット上での募金の様子を見ていたら、「やっとのことで目標額に達した」という感じでした。こういうことにお金を使ってくれるお金持ちは現れないものなんですかねえ・・・。

能が、空とのつながりを取り戻したら、また新しい時代を迎えるような気がするのですけれども、そういう能楽堂が建たないものですかねえ。

矢来能楽堂は、快適度がだいぶ上昇したので、また行きたいですね。

2016年6月27日 (月)

「三人の会」

おととい見た能「三人の会」は、公演時間が6時間に及ぶ長い会でした。
(休憩が2回ありました)
近年、演劇公演の時間が短縮の傾向にあるようですが、私は1日見ていても大丈夫なんですけど・・・。

前の席に座っていた金持ちそうな婆さんが、上演中に出たり入ったり、ガサガサ飴を食ったり、また始まっても喋っているので「喋らないでください」と注意してしまいました。
注意されて不服そうな婆さんは、昔はお酒を飲んだりしながら大らかに見ていたのよなどと言っていましたが、一体いつの時代の話なんだか、昔はもっと酷かったのだから私の酷いのも我慢しろとはどういう言い草なのでしょう。

当日、公演を見ながら、なぜ私はこんなに良い席で見ているのだろう・・・と思った。門下生でもパトロンでもないのに。
正面席だったのですが、まるで全てが私に向けて演じられているように見えたのです。
(自意識過剰?)
歌舞伎の「助六」の出端は、2階上手の桟敷席の1か所に向けて演じられているとかって言うじゃないですか。その桟敷に座って1度「助六」を見てみたいと思うのだけれど、よほどの成田屋贔屓じゃないと座れないんだろうなあと思って諦める私であった。
それと同じように(?)シテがずっと私を見つめているように見えたわけなんです。
不思議な感覚だった。
前から思っていたのですが、シテは真正面に向かって演じているのではないみたいですね。正面より少しだけ上手側に向かって演じているみたい。
そういうふうに見えたのです。
ワキとの関係なのか、殿様との関係なのか・・・。

3番のうちの1つは、川口晃平さんの『養老』でしたが、声の出し方が玄祥さんに少し似ていましたね。坂口貴信さんも、清和さんに似ているなと思う瞬間がありました。やはり師には似てくるものなのでしょうか。
『養老』の後シテは、私がこれまで見た中で最速の舞で、異様な盛り上がりを見せていました。

私もたくさんの舞台を見ておりますが、「舞台から落ちた人」というのを1度だけ見たことがありまして、それがこの川口晃平さんでした。
1年くらい前、龍神の役(ツレ)で、くるっと回って着地しようとしたら、白洲へ落下した。見ているこちらの心臓が止まりそうだった。でも怪我もなく、きざはしから舞台へ戻って行った・・・。これまで見た舞台の中で、もっともスペクタクルな舞台だった・・・。
お父様は高名な漫画家だそうで・・・。
ちょっと気になる、不思議な人。(やりすぎてしまう人が好き)
声がとても良かったですね。

2016年6月25日 (土)

能『熊野』あれこれ

今日、国立能楽堂で久しぶりに『熊野』を見てきました。

私が『熊野』の内容を知ったのは、能の公演ではなく、玉三郎さんの舞踊公演だったと思います。
最初に見た時は、宗盛の気持ちが分からなかった。
帰りたいと言っているのだから、帰らせてやればいいのに、と思った。
しかし、「美しいものを好きな人と一緒に見たい」という気持ち、執着が、私にも分かるようになった。
私はただ悲しく苦しい片想いしかしたことがなくて、両想いという経験が一度もないので、宗盛の気持ちが分からなかった。
そんな種類のわがままが存在するなんて、考えたこともなかった。
でも自分に経験がなくても、他人の気持ちが分かるようになってくるものですね。
年をとると。

そうして今日『熊野』を見ながら、熊野自身は宗盛のことをどう思っていたのかなあ、と考えたのです。
熊野も、宗盛のことが好きだったに違いありません。
なぜならば、「そうでないと能が面白くないから」です。

※「都の春も惜しけれど」=「私だってあなたのことを好きだけれど」

親と恋とを天秤にかけて、『鎌倉三代記』の時姫は恋のほうを取った。
私だって、親と恋だったら、恋のほうを取ってしまうかもね。
(そういう状況になったことがないので分かりませんが・・・)

熊野は恋ではなく親のほうを取るけれど、それは、
・この春を逃すと、親にはもう会えない
・この春を逃しても、宗盛とは次の春の桜が見られる
と思っているからでしょう。

でも、次の桜は宗盛と一緒には見られないと思う。
熊野はそのことを知らないけれど、私は知っているのだった。
なぜならば、私は過ぎた昔を振り返っているからです。
過去を振り返る時、人は神の視点に立てるのですね。
熊野は喜んで去っていくけれど、私は涙が出た。

神様も、散る桜に涙することがあるだろうか。

今日の『熊野』は、観世流の坂口貴信さんのシテだったのですが、非常に素晴らしい公演でした。
こんなに何もかもがいい加減な世の中に、これほど端正な芸格を備えた人が現れるものなのかと驚きました。
坂口さんの舞台を見るのは初めてではなかったのですが、今日は取り分け強烈に、能の世界に新しいスターが誕生したことを目の当たりにしました。
今後ますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。

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