9 能楽

2019年9月 5日 (木)

鐘に恨みは

先日、能の『道成寺』を見てきました。私がこれまで一番多く見ている能は、断然『道成寺』だと思います。かなり上演頻度が高い作品ですよね。

隣の席の爺さんが、ガサガサと謡本をめくりながら『道成寺』を見ていて、ダサい爺さんだなあと思いました。そんなに年を取っているのに、まだ『道成寺』を見ながら謡本が必要なのかと不思議に思いました。
私も、能を見始めた初期の頃は、詞章のコピーを膝に広げながら舞台を見ていたこともありましたが、すぐにそれはやめました。詞章は事前に読んでおき、見る時は舞台に集中したい。ガサガサ音がするのは本当にダサいことですし、年を取ってダサいのは本当に惨めです。

以前、タブレットに謡本を映して詞章をチェックしながら舞台を見ている人がいて、能の客席は変な人が多いなあと思いました。

能『道成寺』は、安珍清姫伝説に基づいていますが、あくまでも後日譚であり、伝説そのものではありませんよね。文楽の『日高川入相花王』や、組踊の『執心鐘入』のほうが、まだしも伝説に近い形を残しています。文楽『日高川入相花王』は、川を渡る場面しか現在では上演されません。清姫が蛇に変わるところが最も劇的な場面であり、浄瑠璃化しやすかったのでしょう。逆に言うと、鐘の場面は芝居として描きにくかったのではないでしょうか。

能の『道成寺』のあらすじを説明するのは難しいと思います。「物語」と言うほどの何かが起こるわけではない。物語が起こったのは過去のことであり、「思へばこの鐘うらめしや」と女は言うけれど、いま鐘の中に安珍はいないのです。安珍がいないのに、鐘だけを恨み続けるのは、おかしなことだと思いませんか。それは「物語」ではなく「詩」であると思う。しかも、言葉で表す詩ではなく、舞で表わす詩であって、説明できない。

『松風』を見ていても、すでに死んでいる行平をまだ待ち続けていることへの不思議さを感じるものです。死ぬとそこで時が止まり、ずっと同じ気持ちのままで苦しみ続けなければならないのですね。止まった時をもう一度流れさせる鐘の供養によって、苦しみが消えるかと思ったのに。

歌舞伎の『京鹿子娘道成寺』は、能の『道成寺』とは別の理由で鐘を恨んでいると思います。

2019年9月 4日 (水)

三読物

先日、能の『木曽』を見てきました。『木曽』という作品は観世流でしか上演されないそうですけれども、この曲の「願書」と、『安宅』の「勧進帳」、『正尊』の「起請文」の3つを「三読物〔さんよみもの〕」と称します。いずれも「紙に書かれたものを読み上げる」という体裁ですので、「読物」には違いないのですが、読み上げる本人が「思いついたばかりの」文章でもあります。

「勧進帳」の文言が、いつ弁慶の頭の中に思い浮かんだのかについては、意見の分かれるところです。むかしの上演ではシテと立衆の連吟だったそうですから、関にかかる前に示し合わせていたことになる。しかし、咄嗟に考え出したという設定のほうが、弁慶が格好良く見えると思うのです。

私は3作品とも見たことがあるのですが、よくもこのような難しい文章を咄嗟に考えつくものだと毎回感心いたします。現在、このような文章を書ける人が日本に存在するでしょうか?書くどころか、読むことさえ難しそうです。

この3作品が上演される時には「あなたも、これくらいの文章が咄嗟に書ける人間になってくださいよ」と言われながら、むかしの日本人は育ってきたのではないでしょうか。

昭和時代までは、選ばれた人の文章しか活字になりませんでしたから、目にする文章はそれなりの水準に達したものが多かったと思います。ところが現在は、片言の日本語が巷に溢れるようになりました。「この人の立場だったら、もう少し綺麗な日本語が書けなくてはいけないのでは?」と思うこともあります。

むかしは『論語』だの『孟子』だの、難しい文章を子供にいきなり読ませて、意味が分かるまで自分で考えさせるという訓練があったように思うのですが、「同じ文章を意味が分かるまで何年でも繰り返し何度でも読む」という習慣が日本から消えてきていると感じるのです。国語教育の目標水準があまりにも低すぎると思います。

2019年8月31日 (土)

国立能楽堂ショーケース

先日「国立能楽堂ショーケース」という公演を見に行ってきたのです。
この公演は、ちらしに「国立能楽堂SHOWCASE」と書かれていて、外国人向けの公演なのかと初め思っていたのですが、そういうわけではなく、単に「初心者向け」の公演でした。
国立能楽堂には各座席に字幕が付いていて、この公演は日本語・英語・中国語・韓国語の字幕が出るので、外国人でも楽しめる公演だと思いますが、最初の「解説」は日本語で行われましたし、主に日本人の観客を対象とした公演です。
「国立能楽堂の能楽入門」「初めての能楽」などの名前のほうが、企画の趣旨が伝わるのではないかと思いました。
何でも英語で書けばいいというような昨今の風潮に私は強い違和感を感じています。日本語の美しさを売りにしている能楽が、そうした流れに追従する必要はないと思うのです。「ショーケース」が「入門公演」だと理解できる日本人がどれだけいるのでしょうか。公式サイトの公演情報ページには、「国立能楽堂ショーケースとは、このような公演です」という説明さえもありません。
※国立能楽堂では、「Discover NOH & KYOGEN」という外国人向けの公演を、すでに数年前から行っています。

私はもう何年も前から能を見ており、初心者ではないのですが、どのような公演なのか興味があったのでショーケースを見てきました。
武田宗典さんの解説はたいへん分かりやすく面白い内容でした。主に能舞台の説明と、上演作品(狂言一番、能一番)の説明でした。驚いたことに、この解説にも4か国語の字幕が表示されたのです。私は日本語字幕を選んで表示させていたのですが、「武田宗典さんの話していることと一言一句同じ」というわけではありませんでしたが、「だいたい同じ」ことが字幕で表示されていました。武田宗典さんは、原稿を手にして話していたものの、「ただ読み上げている」というふうではなく、ほとんど原稿を見ずに、自然に話していらっしゃいました。

国立能楽堂では、開場当初から「普及公演」という「解説付きの公演」を行っているのですが、その「普及公演」よりも更に初心者向けの内容でした。そして何よりも、料金が安い!
しかし、会場はお年寄りが多く、初心者が多く見に来ているという感じではありませんでした。もちろん、年を取ってから能を見始めるというのも素敵なことだと思いますが、私が見たところ常連客が多い気がしたのです。
初心者向けの公演が、初心者のもとにちゃんと届いているのか、疑問に思いました。
「ショーケース」「普及公演」などの公演は、あぜくら会の先行予約をやめるとか、40歳以下の優先予約を開始するなど、特別な措置が必要なのではないかと思いました。

2019年8月12日 (月)

もしも大富豪だったら

このあいだ、梅若能楽学院会館に能を見に行ってきました。
ここの会館の名前は私には覚えられないです。
あと、入口の作りが変だと思うんですね。風水のことを知らなくても変だと分かります。

ここで能を見るのは3回目くらいでしたでしょうか。
舞台照明が異様に綺麗なんですよね。上のほうに外光を採り入れるガラスがあって、照明と日光が混ざっているんです。舞台に日光が当たると、装束の金糸がきらきらと輝いて、もう嘘みたいに綺麗なんですよ。動く美術品っていう感じ。これが能装束の本来の美しさなんだよなあと思いました。他の能楽堂では、能装束の本来の美しさを全然引き出せていないと感じるのです。

能は何百年ものあいだ、昼間の野外で上演するのが普通であって、夜の公演は特別な催しだったと思うのですが、現在の能楽堂の照明は、夜っぽい雰囲気のところが多いですよね。薄暗い中で鑑賞するようなイメージです。もっと明るい中で上演したほうが綺麗だと私は思うのです。
舞台上で、位置によって明るさにムラがあるのも風情が出ると思いますね。

もしも私が大富豪だったら、根津美術館のカフェみたいに、ガラス張りの空間の中に能舞台を建てたいですねえ。

2019年4月13日 (土)

『鵜飼』あれこれ

久しぶりに、能『鵜飼』を見てきました。
番組の中に解説の時間が付いていたのですが、「うがい」ではなく「うかい」と言っていました。「鵜使い」は「うづかい」ではなく「うつかい」と言っていました。「三卑賎」は「さんぴせん」ではなく「さんひせん」と言っていました。
※三卑賎=『阿漕』『善知鳥』『鵜飼』

この『鵜飼』の謡の中に、「鉄札〔てっさつ〕」という言葉が出てきます。浄瑠璃『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」にも出てきますね。

今〔いま〕、浄玻璃〔じょうはり〕の鏡にかけ、鉄札〔てっさつ〕か金札〔きんさつ〕か、地獄極楽の境〔さかい〕。

この「今」というのは「now」「今ここで」ということでしょう。
「浄玻璃の鏡」というのは、閻魔大王のもとで裁きを受ける時に、生前の行いが映し出される鏡のこと。「そら、お前はこれだけ悪いことをしたのだから、地獄へ落ちるのは当然だろう」と本人に認識させるためのものなのではないかと思いますが…。
そして、生前の悪行が記されているのが「鉄札」で、善行が記されているのが「金札」なのだそうです。1枚に1つずつ記されている。しかし、「鉄札のほうが多いから地獄行き」とか、「金札のほうが多いから極楽行き」とか、単純な数の問題ではないみたいです。『鵜飼』では、鉄札が無数にあって、金札がたったの1枚だったのに、救われることになった。その1枚だけの金札というのが、「一晩、旅の僧を泊めてあげた」っていうことなのですが、なぜ旅の僧を泊めてあげると救われるのか?

現代では、知らない人が突然やって来て「泊めてください」と言っても絶対に泊めないと思いますが、江戸時代などはわりと泊めてあげたのだそうです。「みんなが旅の苦労を知っていた」ということもあると思いますし、「お互い様」ということもあるでしょうが、宗教的な理由も大きかったみたいですね。「困っている人を助けることによって、困っている自分がいつか助けられる」ということではないでしょうか。
また仏教では、特に僧侶を大切にもてなすことが重要視されています。「仏法僧〔ぶっぽうそう〕」「三宝〔さんぼう〕」などと言って、仏と法と僧の3つが大切なのです。「仏の大切さ」と「法の大切さ」は誰でも分かると思いますが、僧がなぜ大切なのかというと、仏の教えを理解し、実践し、広める役割を担っているからでしょう。宗教というのは「教え」なので、教わらないと分からないのです。自分で考えついたら教祖様になってしまいます。そんな人は数百年に1度しか現れません。別に、僧が自分たちに有利になるように三宝の中に僧を組み込んだわけではないのです。僧がいなければ教えも存在できない。全ての僧侶は人々を救いたいという心を持っているがゆえに仏教を広めようとするわけでしょう。しかし、縁なき衆生は度しがたいのです。仏縁があれば救われるのです。鵜飼の男は自分で仏縁を作っていました。

ところで、あなたの金札はいま何枚ですか?私の金札ははたして何枚ありますかねえ…。(思い浮かばない)

2019年2月11日 (月)

中正面

2月10日(日)、喜多能楽堂で行われた三世茂山千之丞襲名披露公演に行って来ました。

私の隣の席のおばさんが、上演中ずっとメモを取っていて、気持ち悪くて死にそうでした・・・。去年の12月末にも、やはり狂言の会で、メモを取っている人の隣だったことがあった。そういう気持ち悪い人が流行りなのでしょうか?まあ、どのジャンルにも変な客というのはいるものだと思いますが・・・。

この公演の切符を電話で予約した時、一般発売開始の10時きっかりに電話がつながって、この声は童司さんご本人なんじゃないかな?と思ったのです。(確かめませんでしたが・・・)
その時の予約番号が90番だったのですが、たぶん前日の会員発売で89人が予約したわけでしょう。1人2枚ずつ予約しても180枚くらいでしょう、これは結構良い席が取れたんじゃない?なんてニヤニヤしながら待って、届いた切符を見てみたら、中正面だったんです。中正面・・・??

私が中正面で見るのは、人生で2回目だったのではないかと思う。基本的に正面席の前方でしか見ないんです。脇正面にも数回しか座ったことがありません。前回、中正面で見た時は『関寺小町』をどうしても見たくて、もうどこの席でもいい!というので中正面に座ったのでした。
普通だったら取らない中正面席。

中正面というと、お金のない学生とかが仕方なく座る安い席、というイメージです。千之丞襲名は全席均一料金なのに中正面席、がびーん。
さすがに人気があるんだなあ、見られるだけ幸運と思わないといけないなあ、しょぼーん、と思っておりました。

ところが、実際に座ってみますと、目付柱は全然気にならなかった。意外にも、なかなか良い席だったのです。
考えてみれば、正面席に座っていても、一の松が見えなかったり、揚幕が見えなかったりするのはよくあることで、どの席に座ってもどっちみち見えない瞬間はあると思うのです。
そして狂言の場合、仕手柱と脇柱を結ぶ対角線上で会話が交わされることが多いので、必然的に、中正面に向かって演技が展開することが多いようなのです。
この場面は、私に向かって上演されているのではないかしらん、と思うようなこともありました。とても良い席だった。
でも、ちょっと位置がずれると、名乗りが全く見えないとかいう酷い目に遭いそうな気もしましたが。

だから、座席の位置も実際に自分が座ってみて、経験によって好みが出来てくるのではないかと思いました。

能の場合は、「遠く橋掛かりの向こうから霊がこちらにやってくる」という雰囲気を味わいたいので、やっぱり正面席の脇柱寄りがいいかなあと私は思うのですが、どうですかねえ。

横浜能楽堂の館長をしていた山崎有一郎さんは、中正面が一番だって仰っていたそうですけど・・・。
内田樹さんは、いつも脇正面だそうです。

いくら好みの席などと言っても、自由に席を選べるような公演はない(というかそういう公演には行かない)わけですが・・・。

新千之丞さんの「花子」の装束を、ニッポン画家の山本太郎さんが描いたそうで、開演前に装束が展示されていました。

ニッポン画家・山本太郎
洒落ている・・・。

新作の「二人山伏」がすごく面白かった!配役も素晴らしかった。島田洋海さんのトボけた味わいが光っていました。

千之丞さんは、すごく二枚目な感じでした。狂言師に二枚目っていうのも変ですけど・・・。真面目な好青年という感じ。(実際はどうか知りませんが)

私は、先代の千作・千之丞ご兄弟は1度しか生で見たことがないですねえ。すごいインパクトでしたよね・・・。

2018年12月16日 (日)

坂口貴信之會

今日、観世能楽堂で開催された「坂口貴信之會」に行ってきました。『隅田川』が誠に素晴らしい上演でした。坂口さんは声域の幅が広く、また謡に感情が乗る人です。他の人はこんなに感情を出しませんし、今日の坂口さんのような演技が能のやり方として正統なのかどうか私には分かりませんが、役柄の置かれた状況としては、このくらい強く演じて当然という気がしました。たいへん鮮烈な演技でした。地謡も白熱していました。
私の隣に座っていた爺さんが、舞台上から音がやんですぐに鞄のチャックを開けたり閉めたり、アンケート用紙をガサガサしたり、もう自分で聞こえていないのだと思いますが、日本のお年寄りというのはどうしてこんなに行儀が悪いのでしょうかねえ?一番行儀が悪いジャンルが能とオペラだと思うのです。

2018年12月 2日 (日)

お・も・て・ナ・シ

昨日は高橋忍さんの会、今日は佐久間二郎さんの会に行ってきました。(共に国立能楽堂)
昨日「邯鄲」を見て、今日「鉢木」を見るというのは、なかなか乙なものでした。「鉢木」の中には「邯鄲」のことがちょっと出てきますからね。
そして今日、狂言「木六駄」と能「鉢木」を同じ日に見られるのも洒落ていました。

今日は国立能楽堂の広間で和菓子が販売されていて、「鉢木」にちなんだ梅・桜・松の和菓子セットがありました。練り切り・上用饅頭・きんとんで梅・桜・松をかたどったもの。このように上演曲目に因んだお菓子は心がときめきますね。買おうかと思ったのですが、1人暮らしに和菓子3つは食べられないので、やめておきました。おもてなしする人もいない、侘びしい生活でございます。

2018年9月 1日 (土)

そんなの邯鄲

私は今46歳ですが、14歳の頃から中島みゆきファンなのです。暗い少年だったのですね。そして「夜会」は第2回から全て見ています。第1回の時も行きたいとは思いましたが、まだ私が子供すぎて、全く行ける状況ではなく、チケットを取ろうともしませんでした。ですから、チケットを取ろうと思った第2回以降は、取れなかったことがないわけです。この「夜会」は、現在は赤坂Actシアターで上演されることが多いですけれども、当初はシアターコクーンという小さな劇場で、客席数が極端に少なかったため、ファンクラブの会員でさえ3割くらいの人しか見られなかったのだそうです。私はこのチケットを取るために人生の運を全て使ってしまったのではないかと思うくらいです。
そうして回数を重ねている「夜会」ですが、私が一番感動したのは、何と言いましても第3回の「KAN-TAN(邯鄲)」です。これは、能の「邯鄲」から着想を得た、恋愛の歌物語でした。

「邯鄲」という曲名の発音は、頭の「か」にアクセントが付けられるのが一般的です。これは文字を見ているだけでは分からないわけですが、能楽師がトークショーなどで実際に口にするところを何度も聞いたことがあります。

関係ありませんが、舞台のチケットを取る時「カンフェティ」というサイトを利用することがありますけれども、このConfettiという言葉は「紙ふぶき」という意味だそうです。「カンフェティ」を声に出す時、頭の「カ」にアクセントを置く人が多いようなのですが、confettiを辞書で引くとアクセントはfeに付いております。文字で見ただけでは分からないわけですが。

confetti
の場合は辞書を引けば正しいアクセントが分かりますが、「邯鄲」はもともと中国の地名なのですから、日本人が「かんたん」をどのように発音してもそれは中国人にとっては間違いなのであり、すなわち正しいアクセント、間違ったアクセントというものはないのではないかと私は思うのです。
なぜこのような話をしているのかと言うと、「邯鄲」は、「簡単」という言葉と掛詞になっていると思うからです。
何が簡単なのかと言うと、悟りを開くことが簡単だとこの能は言っているのです。
人が悟りを開くと聞けば、何か難しい、遠い世界のことのように思うかもしれませんが、それは単に「気づくか」「気づかないか」というわずかの違いであり、何もテストで満点を取れとか、100メートル走で10秒を切れなどと無理なことを言われているわけではなく、何の準備もなくても、誰でも、今日にでも悟りを開けるのです。気づきさえすればそれは簡単なことなのです。

それでは盧生は、何を悟ったのでしょうか?この世の空しさを悟ったのでしょうか?欲しいと思っていた、そういうふうになりたいと思っていた、その世界を夢の中で自分が体験して、「いらない」と気づいたのでしょうか?もう欲望が消え去ったのでしょうか?実際に体験すると欲望は空しいのでしょうか?悟りとは欲望を消し去ることなのでしょうか?

欲望は悟りによって消え去るでしょうか?空腹は悟りで消え去るでしょうか?

中島みゆきの「KAN-TAN」で提示されたのは、悟りによって欲望が消えるということではなかった。
・欲しいものが手に入らない→不幸
ということになると、人はずっと不幸でいなければならない。
「欲しいものが手に入らなくても、不幸とは限らない」という価値観の大転換を示したところに、私は感動したのでした。

能の「邯鄲」は、若手能楽師にとって憧れの曲のようで、わりと頻繁に上演されます。
私も何度か見ていますが、盧生が夢から覚める場面は演者によってだいぶ演り方が異なり、すごい迫力の時もあれば、そうでもない時もあります。林宗一郎さんの「邯鄲」は、この場面が実に見事でした。素晴らしかった。

2018年7月 8日 (日)

能『忠度』 誰を主と定むべき

ユーミンこと松任谷由実さんが、よく「詠み人知らずの歌になりたい」と仰います。つまり、自分が死んだ後も、自分の作った歌が歌い継がれて、やがて誰が作った歌なのかさえ分からなくなってもまだ歌われている、そういう状態が理想だというわけです。

和歌には素晴らしいものがたくさんあり、誰でも多少なりとも暗唱しているだろうと思いますが、では「その歌は誰の作か?」と問われたら、意外と覚えていないものではないでしょうか?

能の名作は、作者が不明であることが多いですね。推測は出来ても、断定することが難しいようです。作者と演者が同じである場合もあったし、違う場合もあったし、他の人が演じても良くて、自分の作であることを主張しなかった。そもそも能は、一から十まで作者1人が作ったというわけではなく、先行文学を編集して舞台のために立体化したという面がありますし、「私の作です」と記すのが憚られたのではないでしょうか。

能を見ておりますと、仮面劇であるということも関係していると思いますが、誰が演じたのか覚えていないことがありますね。「良い熊野だった」とか、作品の良さで覚えていると言いますか・・・。

文楽公演の番付で、浄瑠璃作者の生涯を紹介していく連載記事を企画したら、却下されてしまったことがありました。調べても分からないし、それを書ける人もいない。作者のことなんて誰も気にしていなくて、名前の読み方さえはっきりとは分からない作者もいるそうな。

まあでも、名前が残るより作品が残ったほうが、作者も嬉しいのじゃないだろうか。

平忠度は、文楽『一谷■軍記』の登場人物として知っていましたけれども、作品が未完であるために、忠度の件りはあまり上演されません。完成していたらどんな謎解きが盛り込まれていたのでしょうか。
『一谷■軍記』の忠度は、自分の歌が勅撰集に入ったことを知って満足して戦地へ向かいますが、能の忠度は満足しなかった。勅撰集に入った自分の歌が「詠み人知らず」とされたことに不満で、現世に戻って来てしまうのでした。
『平家物語』では、「その身朝敵となりぬる上は、子細に及ばずと云ひながら、恨めしかりし事どもなり」と書かれているそうです。これは、忠度が「恨めしい」と思ったのではなく、『平家物語』の語り手が思ったのであり、何が恨めしいのかと言えば、「たった一首だけだったこと」「名前が伏せられたこと」であるらしい。忠度自身は、『千載集』に入ったのが一首だけだったことも、詠み人知らずとされたことも、知らぬうちに死んでしまったのだ。それでも能では妄執により忠度が姿を現す

しかし、能の忠度は、結局のところ成仏して消えていったのではないかと思う。最後に「花こそ主なりけれ」とありますが、桜の咲かない国には桜の歌も生まれませんし、その歌は桜が詠ませたのだとも言える。どんな歌も、その時代にその場所にいたという状況が人に詠ませるのであり、桜の歌の主は桜と思えば、やがて歌人も桜の花と同じように、自然へと帰って行くのだろう。

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