つぶやき

2018年6月16日 (土)

春風亭一之輔

あれは数年前のことでした。
私は毎月欠かさず歌舞伎座の昼の部・夜の部を見ているのですが、いつものように歌舞伎座ロビーを歩いておりますと、私の前を歩いているお兄さんが春風亭一之輔に見えたのです。「あれっ?一之輔じゃない?」と思ったら、本当に一之輔さんでした。私は1度も一之輔さんの後ろ姿を見たことがないのに、後ろ姿だけで一之輔って分かるなんて、すごいと自分で思いました。何か話しかけようかと思ったのですが、やめておきました。

先日、一之輔さんの独演会に行ってきました。
まくらで一之輔さんが「最近、あじさいの良さが分かるようになった」と言っていました。
そうなんですよね。子供の頃は、あじさいの良さって分からないんですよね。大人になると分かるんですよねえ。

全然関係ない話ですが、私はプッチーニ作曲の《トゥーランドット》が好きなんです。でも最初に見た時は、「誰も寝てはならぬ」のアリアくらいしか好きじゃなかった。だんだん好きな場面が増えていって、最近はピン・ポン・パンの三重唱が好きになりました。昔は、こんなどうでもいい長い三重唱を作曲する時間があったら、先に結末を書いて死んでくれればよかったのに、などとプッチーニを恨んでいたのです。ここは恨みの場面だったのです。
しかし、この「せまじきものは宮づかえ」的な歌、なかなか洒落ていて味わい深いと最近は思います。「長い歴史を持つ中国もこれで終了」なんて、「日本ももう終わりだねえ」という自分の嘆きと重なって、良い感じなのです。

私は古今亭志ん朝の落語を生で5回聞いたことがあるのを自慢にしているのですが、そのうちの1回は最高の当たり芸「火焔太鼓」でした。あとは「粗忽の使者」「宿屋の富」を1回ずつと、「五人廻し」を2回聞きました。
志ん朝は落語の神であり、その高座に接することができたのは、本当に有り難いことでした。
しかし、「五人廻し」については、一之輔のほうが面白いなと私は思ったのです。ネタによっては一之輔のほうが面白い。

一之輔さんは、いろいろ珍しいネタを聞かせてくれるところが嬉しい。嬉しい噺家です。
落語も一通り聞くと飽きちゃったりするものなんですけれども、もう一度新鮮に落語を体験させてくれる感じなのです。聞き古したネタも新鮮に感じる。

先日の独演会で、終演時にロビーで著書にサインしてもらいました。『いちのすけのまくら』という、今年出版された本です。
落語家が落語の本題に入る前のフリートークを『まくら』とよんでいます。「頭につく」からまくら。
-『いちのすけのまくら』より

私は高校生の頃から「まくらはなぜまくらというのだろう?」と思っていたのですが、そしてその答えはうっすらと分かってはいたのですが、改めて言葉で説明されると、すっきりと腑に落ちました。
(まだ本文は少ししか読んでいない)
サインしていただく時に、「座右の銘を書き添えてください」とお願いしたところ、
今日できるなら明日やる
と書いてくださいました。
明日ですむことは今日やらずに明日やる、という自堕落な座右の銘かと存じます。
しかし、落語家の努力というものは、並大抵のものではありますまい。
よく歌舞伎俳優で台詞が入っていない人がいますけれども、落語家は全ての登場人物の台詞を覚えて、何十分も1人でひたすら話し続けなければならない。
年を取ると、固有名詞が出てこなくなったりしますよね。
昔、立川談志が、登場人物2人のシリアスな殺しの場面で、逆の名前を言ってしまって、そこで話をやめたことがありました。
噺を完成形に持っていくのは本当に大変。
偉業である。
落語家は偉い。
優れた落語家は国の宝でげすね。

2018年6月14日 (木)

三井の晩鐘

先日、三井寺に行ってきたのです。
能「三井寺」でお馴染みの三井寺。能「三井寺」の詞章は、歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」にも一部転用されています。
一度は行ってみたかったんですね。
正確には「園城寺〔おんじょうじ〕」と言って、歴史も古く、敷地も広大です。
平忠度の和歌「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」で知られる「長等山〔ながらやま〕」が、このお寺あたりの山なんですね。

三井寺と言えば鐘が有名です。
300円を納めると撞かせてくれるというので、私も撞いてみました。
撞かせてもらえるということと、撞くのにお金を払う必要があるということに、驚きました。
受付のおばさまに、「この鐘は、決まった時間に鳴らされたりするんですか?」と質問してみますと、「毎日5時に撞きます」とのことでした。
鐘が有名と言っても、一番有名なのは「晩鐘〔ばんしょう〕」ですから、5時の鐘を聞いてから帰ることにしました。
「三井の晩鐘」は近江八景に入っています。
しかし「晩鐘」というのは、音と時間を表す言葉であって、景色を表す言葉ではない。
まあ、琵琶湖が見えて夕方の鐘が鳴ればそれが「三井の晩鐘」なのであろう。
私は三井寺の高台から青くくすんでいく琵琶湖を1人眺めながら、5時を待った。
周りには誰もいない。売店のおばさんも、お坊さんも、家路を急いで帰って行った。
1人取り残されて、門が閉められてしまっていたらどうしよう。
でも今さら三井の晩鐘を見ずには帰れない。
そして5時。
鐘は鳴らなかった・・・。
?????
ちょっと遅れてるのかな?と思ってもう少し待ったけれど、結局鳴らなかった。
まあ自分で打った鐘と音は同じ音なのだけれど・・・。

三井の晩鐘は心の中の琵琶湖に響く鐘。
合成写真のように。

2018年6月13日 (水)

世の中の不思議

アメリカは、自国の核兵器を手放さないのに、なぜ他国の核保有に口出しをするのでしょうかねえ?アメリカのどういうところが偉いのでしょうか?不思議ですね。

2018年6月 4日 (月)

「夢の裂け目」新国立劇場

芝居の世界では、どんな人気役者よりも人気作家のほうが権力を持っていますよね。つまり作品は後に残るわけですから。
しかし、そうは言っても現実には、ほとんどの芝居が再演されないんですよね。いま一番人気がある三谷幸喜さんの作品も、意外と再演されませんね。(喜劇だからということもあると思いますが・・・)
作品が繰り返し再演される戦後の劇作家と言いますと、三島由紀夫、北條秀司、有吉佐和子、井上ひさし、くらいでしょうか?もっといますかね?

20年前に開場した新国立劇場は、中劇場が井上ひさし、小劇場がつかこうへいでこけら落としをしたのでした。
しかし、つかさんの名前はあまり聞かなくなりました。
井上ひさしさんの作品は亡き後もずっと再演され続けていて本当にすごいなと思う。

「夢の裂け目」は、前回上演時に見ているのですが、内容をすっかり忘れていました。でも見たら面白かったです。
演劇と左翼運動が強く結びついていた時代というものがあったわけですが、井上ひさしはかなり左寄りな人だったのではないでしょうか。そして新国立劇場のために書き下ろした作品に取り分けその傾向が強い。劇界で圧倒的な権力を手中にしてのち、わざわざ国立の劇場でそのような作品群を待ってましたとばかりに連続投下した井上ひさしは本当に偉大な人だったと改めて思ったのです。国立の劇場で上演したところに最大の批判精神があったわけでしょう。
その執念に乾杯!(いつまで見られますかね・・・)

2018年6月 1日 (金)

よもやま

ウチの近所のスーパー、どんどんサービスが低下している感じ・・・。店員が「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」を言えないのは仕方ないにしても、接客があまりに酷くて、もう行きたくない。

仕事をしていて、お昼ごはんをどうするかというのは悩みどころですが、私はいつも決まったお弁当屋さんでお弁当を購入して、デスクで食べることが多いのです。ところがどうしたことか、そのお弁当屋さんの品質がどんどん低下してきています。別の店を考えようと思っています。

どこも人がいないんですね・・・。

先日、京都国立博物館の「池大雅展」を見て来ました。
池大雅の作品はこれまでにもいろいろ見てきましたが、これだけ大規模な回顧展で見るのは初めてでした。1作品だけ見るのと違って、まとめて見るとすごいパワーでした。
最後のほうの展示空間に出ていた国宝がすごいと思って感激していたら、それは東京国立博物館の所蔵作品だったのです。東博はよく行くけれど、こんな作品見たことなかったな・・・。

東博には「国宝室」という部屋がありますが、かなり高い確率で「古文書」が展示されているような気がする。なぜ、読めない古文書ばかり展示されるのでしょう?
別にパッと見た印象が綺麗でなくてもいいけれど、「綺麗じゃないのに国宝になった理由」みたいなものを分かるように解説してくれてもいいのに。
そして国宝室は、作品解説の張ってある位置も、わざわざ人が密集する位置になっていて、空間演出がなっていないように思う。

東博の「名作誕生」という企画展を見に行ったら、四季の掛け軸を左から右へ見させられて、馬鹿じゃないのかと思いました。東博はもう駄目なのだと思います。

京博は、作品解説が縦書きで書かれており、「さすが文化の中心だなあ」と思ったことでございました。

2018年5月29日 (火)

国立劇場のホームページは駄目

私はもう何年も前から「国立劇場のホームページはなっていない」といろいろな機会に発言しているのですが、「国立劇場HPのアクセス件数は、なぜ新国立劇場HPのアクセス件数よりも大幅に少ないのか」ということが社内で問題になっているようです。
アクセスの解析の仕方が悪いんじゃないかとか、流入を呼び込む工夫が足りないのではないかとか、そういう側面も確かにあるのかもしれませんが、それは二次的なことにすぎず、理由は明らかに「内容が駄目だから」です。

たとえば公演情報に「この公演はイヤホンガイドがあるのか?いくらなのか?」「英語版イヤホンガイドはあるのか?」「託児所は開設されるのか?」「食事はどうすればいいのか?」といった基本的な情報が出ていない。

演目のあらすじ・みどころが書かれていない。出演者の顔写真・プロフィールがない。写真がなくて文字ばっかり。文字が小さくて字が潰れていて読めない。1つのページに情報が密集していてゴチャゴチャしている。

配役が書かれていない。ちらし画像がpdfで張り付けられているだけで読みづらい。というかちらし画像が荒すぎて判読できない。美しくない。美しくないものは見たくない。

最も重要な公演情報が「本日の公演」「今月の公演」「来月の公演」「再来月以降の公演」の4つに分類されているわけですが、なぜ「5月公演」「6月公演」「7月公演」「8月公演」というように月ごとに表示しないのか。手間惜しみですよね。手間を惜しんでアクセス件数は増やせないですよね。

貸し劇場の公演情報は「来月の公演」までしか載っていない。つまり今日の時点で6月公演までしか掲載されていない。こんなに掲載が遅い劇場は他に存在しないです。掲載期間が短ければ、その分アクセス件数は少なくなります。

たとえば新国立劇場のホームページだったら、「●●●にフィデリオの記事が掲載されました」というようなメディア掲載情報が載っていますでしょう。でも国立劇場のホームページにはないでしょう。
「国立劇場でもやりましょう」というふうにならないところが不思議なんですよね。
評議員会とか専門委員会とかすごいいっぱい会議をやっているのに全然変わらなくて、「新国立劇場で出来ていることが国立劇場で全然出来ていない」ということがたくさんあって誠に不思議です。

それで私の意見なんか全然聞いてくれないので、ブログで愚痴を書くことになるわけなのです。本当のことですから悪口ではありません。

2018年5月26日 (土)

これでは座れない

私はオペラやバレエが好きなので、よく東京文化会館へ行くのです。オーチャードホールに比べると、舞台の見やすさも音響も格段に優れていると思いますけれども、2階から上の客席は横幅があまりに狭くて、私はちょっと座れない。両隣が小柄な女性だったら大丈夫だと思いますが、普通の体格の男性だったらもう肩も腕もピッタリくっついたまま終演まで固定されてしまいます。(ちなみに私は身長174センチです)
東京文化会館の公演はほとんどが貸し劇場で、劇場使用料が入ってくるばかりなのに、そのお金は何に使ってしまうのでしょうか?もう少し劇場を快適にするために使えばいいのにと思う。10年ごとに大規模なリニューアル工事を行っているのに、何も良くなっていないように感じる。

能楽堂は全国にたくさんありますけれども、客席が小さすぎて体が入らないことがよくあります。昔の日本人は本当に小柄だったんですね。
でも時代は変わりました。
「客席が狭いから行かない」という人も多いと思うんです。

よく劇場やホールが1~2年のあいだ休館して改修工事を行いますが、国立劇場は50年間1度もそのような改修をしたことがない。大劇場3階の最後列の椅子は私は狭くて座れない。

2018年5月23日 (水)

真夏の夜の美女が見る眠れる森の夢

オペラは音楽だから世界中に通じて誰でも楽しめる、ということがよく言われるわけですが、私は《フィデリオ》という話が分からない。
レオノーレはなぜ男装しなければならなかったのか?
監獄というものは、抜け出るのが難しいのと同時に、入り込むのも難しい。男の監獄に女は入れないのだろう。
しかし、その監獄の内部に若い娘マルツェリーネがいるというのは、どうしたわけだろう?看守の娘は監獄に住んでいるものなのだろうか?(それは嫌だ)
フィデリオに対するマルツェリーネの恋心というのは、「夫の救出の際に訪れた主人公の困難」としてはたして本当に必要なプロットなのだろうか?レオノーレは「これは困ったわ」でもなければ「ごめんなさいね」でもなく、ただ彼女に無関心なだけのように見えるけれど、どういう必然性があるのだろう?やりっぱなし?

バレエは言葉のない世界だから誰でも楽しめる、ということがよく言われるわけですが、本当なのでしょうか?
先日、親子向けのバレエ公演で《真夏の夜の夢》を見たのですが、無料配布されたあらすじを読んでさえも、物語がよく分からない。あのストーリーは子供でも分かったのだろうか?
そして、このあいだ《眠れる森の美女》を見ていて、「姫が寝ている間に100年が経ってしまった」という事実は、あらすじを読んだ人にしか分からないのではないかと思ったのです。舞台上に「100年後」を表すようなものは何もなかった。その公演では、姫が眠った後、目覚めるまでの間に休憩時間も設けられず、まるで翌朝にでも目覚めたかのようだった。これが浦島太郎だったら、海から戻って激変した世の中に驚くところなのに。
100年後に目が覚めたら知っている人が誰もおらず、周りは高層ビル群だった、なんていう「眠り」新演出はどこかで行われていないものでしょうか?

2018年5月21日 (月)

最近の驚き

税金の使い道は秘密ではなく、むしろ積極的に開示しなければならないと教えられてきましたので、これは書いてもいいと思うのですが、国立劇場の裏方さんの費用が公演のチケット代や貸し劇場の収入でまかなわれているのに対し、新国立劇場の裏方さんの人件費に税金があてられているのを知ってビックリしました・・・。
・・・・・・。

2018年5月20日 (日)

愚痴シリーズ

4月に人事異動があって、私の働く場所が変わったのです。
前のデスクは狭くてうるさくて暑くて寒くて汚くて、とても劣悪な環境だったので、今度は広くなって良かった~と思ったのです。
ところが、使う男性用トイレの小の水が流れない。ずっと壊れたままなのです。
まあ観劇のお客様が使うトイレではなく、事務所のトイレですから、小の水が流れなくても、仕方ないのかもしれない。個人的にはすごくイヤだけれど・・・。(転職を検討するレベル)

このあいだ東京国立博物館に行ったら、トイレの個室が1つ故障中だったのです。しばらくしてまた行ったら、また故障中だった。

新しいものばかり作りたがり、その一方ですでにある基本的な施設の維持が留守になり、全体を見渡せる人がおらず、日本の文化行政はもう終了しているのではないかと思う今日この頃です。

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