つぶやき

2018年12月 9日 (日)

坂東玉三郎トークショーその7

11月14日に金沢で行われた玉三郎さんのトークショーに行って来たわけなのです。

「歌舞伎の道に進んだ経緯」という話になりました。とにかく朝から晩まで広間や廊下でずっと踊っている子だったのだそうです。親御さんの知り合いに歌舞伎俳優がいて、「そんなに好きならやらせてみたら」というので歌舞伎の世界に入って行ったのだそうです。「自分は幸運だった」と仰っていました。と言いますのも、ちょうど新しく国立劇場ができて、一方で大幹部の人たちは歌舞伎座を開けるということがあり、国立劇場で若手の抜擢があったということなのです。「時鳥殺し」の時鳥で注目され、転機になったとのことでした。

この「時鳥殺し」は昭和42年12月、すなわち国立劇場開場の翌年に上演されたものです。私は昭和46年生まれなのでもちろん見ておりませんが、いま独立行政法人日本芸術文化振興会に勤めておりますので、知識としては知っていました。しかし、玉三郎さんご本人の口から「ちょうど国立劇場ができて幸運だった」とお聞きすると、玉三郎さんという奇跡の存在に国立劇場が深く関与していたんだなあ・・・と改めて感じ入った次第です。

前の中村芝翫さんも、昭和42年に芝翫を襲名するまで、なかなか役がつかなかったと聞いたことがあります。歌舞伎俳優にとって、役を得るのは大変なことだったんですね。

14守田勘弥、13片岡仁左衛門、3実川延若、4中村雀右衛門といった方々は、開場直後の国立劇場で存分に活躍したというイメージがありますねえ。

昭和期と違って現在は、一度に4座も5座も歌舞伎が開くことがありますけれども、「抜擢に応える」「仕出かす」ということは滅多に起こりませんね。

マリア・カラスも言っていまいた。「準備ができているということほど、公平で強いものはない」と。他の人は準備ができていなかったんだそうですよ。

2018年12月 8日 (土)

時のないホテル

ユーミンの歌に「時のないホテル」という名曲があります。

ここは置き去りの時のないホテル 20世紀を楽しむ場所

これは20世紀に作詞された曲で、私は20世紀の頃から聞いておりますが、21世紀のいま聞くと、より一層味わい深いと思うのです。

昔の感覚のまま時が止まって世の中に取り残されてしまう、ということが実際にあるわけなのです。

国立劇場は、全ての公演ではありませんが、ほとんどの公演を映像で記録していて、月に一度「公演記録鑑賞会」という場で上映しています。(「公演記録鑑賞会」は無料ですが、30分50円で好きな公演記録映像を見られる「視聴室」もあります)
この公演記録鑑賞会のちらしが、いろ紙にスミ一色で印刷されたもので、いまどきこんなちらしが存在するのかと驚くような古くさいものなのです。あらすじも見どころも書かれていません。私が知っているのは平成4年くらいからですが、ずーっと同じままで、周囲がどんなに変わっても変わらない。始めた当初はそれが普通だったのかもしれませんが(?)、こんなに古くさい印刷物が見られるのはいまや国立劇場だけだと思います。地方の劇場のほうがよほど洗練された印刷物を出しています。「日本芸術文化振興会ニュース」も然り。

「高輪ゲートウェイ」という駅名がダサいと話題になっていますけれども、「独立行政法人日本芸術文化振興会」という誰も覚えてくれない名前も何とかしてほしい・・・。(普通に覚えられないと思う)

国立劇場の歌舞伎公演では、千穐楽に「国立劇場賞」という賞が発表になるのですが、この賞はどんなに演技が素晴らしくても座頭には与えられない賞なのです。なのに「どういう趣旨の賞なのか」ということが全く説明されないことが誠に不思議。そして、いまどき舞台写真くらい一緒に掲載すればいいのに、発表の仕方があまりに素っ気なくて毎回驚きます。
国立演芸場の「花形演芸大賞」の発表の素っ気なさにも毎回驚きますけれども・・・。

そして、時に置き去りにされた雰囲気を東京で最も強く感じさせるのは、国立劇場の2階食堂や駐車場あたりではないかと思う。東京国立博物館の本館もかなり強いですが。

2018年12月 7日 (金)

坂東玉三郎トークショーその6

11月14日に金沢で行われた玉三郎さんのトークショーに行ってきたわけなのです。

このトークショーは、「妙成寺五重塔建立400年記念」として行われたものでした。妙成寺は、長谷川等伯の2幅の絵を所蔵しているそうですが、そのうちの1つ「仏涅槃図〔ぶつねはんず〕」が舞台に登場しました。客席から距離があるので、細かいところまで見えるわけではありませんでしたが、妙成寺のお坊さんが「絵解き」をしてくださり、大変貴重な機会となりました。
(むかし私は、和歌山県の道成寺で、清姫伝説を描いた絵巻の解説を聞かせていただいたことがあります。そういう機会はなかなかありませんね)

涅槃図は美術館でよく見ますけれども、今回のお坊さんの解説で初めて知ったこともありました。
仏さまが亡くなることを「入滅〔にゅうめつ〕」と言いますけれども、入滅の際に仏さまが頭を北向きにしていたことはよく知られています。私の親は「北枕は縁起が悪い」と言って、北向きに寝ないようにしていました。幼い頃から聞いていますと、私もやはり自然と、寝る時の方向が北にならないか気にするようになっていました。涅槃図において仏さまは当然、北向きに寝ているわけですが、妙成寺のお坊さんの解説によると、「頭は北向き、顔は西向き」と決まっているのだそうです。「西方浄土〔さいほうじょうど〕」と言って、極楽は西の彼方にあるからでしょう。極楽がなぜ西の方角にあるのかと言うと、仏教がはるか西から伝わって来たという点も日本人にとっては重要な要素だろうかと思いますが、仏教の起点である仏さまが西を向いていたというのは、「太陽が沈む方角」「物事が終わる方角」を表しているということなのでしょう。方角は、それぞれ意味や特徴や力や作用といったものを持っていると感じるのです。みんな知っていることですけれどもね。

沙羅双樹が半分緑で、半分枯れているのは、生と死の境を表しているのだそうです。
沙羅双樹の枝に引っかかっている袋は、雲に乗って駆け付けた摩耶夫人が空から投げたもので、中に薬が入っているのだそうです。ここから医師が患者に薬を与えることを「投薬」と言うようになったと仰っていました。

等伯の「仏涅槃図」はかなり大きな絵でした。沙羅双樹のまわりに煙のようなものが立ちのぼっていて、それが緑がかった水色で、とても綺麗な色でした。遠くから見ても、それは分かりました。
等伯が使っていた顔料は良い顔料で、支援してくれる人がいたのだろうというお話でした。良い顔料は良い画家のもとに集まっていく、それは当然のことだと思いました。

2018年12月 2日 (日)

坂東玉三郎トークショーその5

11月14日に金沢歌劇座で行われた玉三郎さんのトークショーに行って来たのです。
歌劇座と言っても、普通の市民会館みたいな感じです。緞帳がちょっとオペラチックというか、メルヘンチックというか、四季の花々を集めた洋風なものでしたが・・・。

観客からの質問コーナーで、「生まれ変わるとしたら次は何になりたいですか」という質問が出ました。(出た!)
玉三郎さんは、「皆さんの笑顔が消えてしまうかもしれないのですが、もう生まれ変わりたくないんです・・・」と仰っていました。「生まれ変わらなくて済むように精進したい」とのことでした。
玉三郎さんがこの手の質問に答えるところは前にも私は見たことがあります。その時も同じように仰っていました。

私も絶対に生まれ変わりたくないですねえ。
でも、自分で決められるのだったら今だって生まれてきていないと思うので、また次も泣きながら生まれさせられるのではないかという気もしますが・・・。

生まれ変わりとか、死後の世界を信じますか?
そういうことがあると思いますか?
ないとは言い切れないでしょう。
こうして生きているのだって相当不思議ですしねえ。

昨日、能「邯鄲」を見て来たのです。謡の詞章の中に「夢路をいつと定めん」とありました。夢というのは、どこからが夢で、どこまでが夢なのでしょうかねえ?
夢を見ている間は、それが夢だとは思っていないわけでしょう。起きた後で夢だと気付くんですね。
つまり、死んだ後が本当の世界で、今生きている間は仮の世界、夢みたいなものなんじゃないかなあと、昨日「邯鄲」を見ながら思ったのです。
まあ夢にしてはあまりにリアルで、長すぎという気もしますが・・・。

「邯鄲」の詞章の中に、「出離〔しゅつり〕を求むる」と出てきました。これは、『義経千本桜』の「すし屋」の詞章にある「三藐三菩提〔さんみゃくさんぼだい〕の門出」と同じことだと思うのです。維盛は、「もう生まれ変わってこない」と言っているのです。
若い頃は、維盛のセリフにある「仏を騙って輪廻を離れず」なんて、何を言っているのか全然意味が分からなかったのですが、年を取ってくると維盛のこともだんだん分かるようになってくるものですね。

2018年12月 1日 (土)

坂東玉三郎トークショーその4

11月14日に金沢で行われた玉三郎さんのトークショーに行って来ました。

玉三郎さんへの質問コーナーがあったのです。開演前に紙に書いて投函する形式でした。玉三郎さんご本人が箱の中から5枚選んで答えていったのですが、その5つが答え終わったところで、会場から質問を受け付けるという形式に移ったのです。
講演会などにおいて、よく「会場から質問を受け付ける」ということが行われますが、これは非常にリスキーなことで、「変な客が変な質問をする」という危険があるわけなのです。その危険を避けるためにこそ「事前に紙に書く」という形式が取られたのだと思っていたので、「直接受け付けて大丈夫なの?」と私は心配になってしまいました。しかし幸いなことに、今回は変な質問が飛び出すこともなく、かえって盛り上がって良いコーナーとなりました。

もう何日も過ぎて私の記憶も曖昧になってきていますが・・・。最初に質問した人は、北海道から金沢までやって来た男性で、結局何が質問したいのか、玉三郎さんからただ励ましの言葉が欲しかったのかよく分かりませんでしたが、13歳の時だかに玉三郎さんとジョルジュ・ドンが踊るのを生で見て衝撃を受けて、踊りを志し、ロンドンに渡って踊っていて怪我をして踊れなくなり、20年くらいずっと踊れなくて、最近ちょっと踊れるようになり、今42歳で、踊りを教えたりして生活している、こんな私に何かアドバイスを、というような感じでした。
それに対する玉三郎さんの言葉は、大変優しく真摯なものに私には思えました。
玉三郎さんは、年を取って、私は自分が何かを出来ないという状態を諦められるようになった、と仰っていました。あなたは若いからまだ諦められないでしょうけれど、と前置きして、自分がどこまで出来るか、どこから出来ないのかという分かれ目の基準は、「自分の心や体が壊れない程度に頑張る」ということだと話していらっしゃいました。

何気なく仰っていましたが、「自分の心や体が壊れない程度に」というのは相当高い水準の努力であり、普通の人にはなかなかそこまで出来ないと思います。

私なんか、「好きな道だから」と思って一所懸命に働いていたらドカドカ仕事を押し付けられて、辞表を提出しようかと思ったことが何度かありました。努力の量を自分でコントロールするのは非常に難しいことでございますね。

あなたは今、踊りを教えることが出来ていて、他人が上手くなることを喜ぶことが出来るのならば幸せですね、と玉三郎さんは仰いました。
自分が踊りを思うように踊れないことで、逆に踊りの教え方や、振付に対して、他の人よりも鋭くなるということがある、とも仰っていました。

2018年11月26日 (月)

坂東玉三郎トークショーその2

先日、金沢まで玉三郎さんのトークショーを聞きに行ってきたのです。
シネマ歌舞伎「鷺娘」の上映とセットになっていました。
私はこれまでシネマ歌舞伎を見たことがなかったのですが、すごく音響が良くて、柝や本釣の音なんてまるで本物のようでした。さすが映画会社の松竹だけのことはありますですね。

鷺娘に関する玉三郎さんのトークもありました。

・小さい時から踊っているので、いつのまにかフェードインしていて、鷺娘が何者なのか改めて考えたことがなかった。
・雪の中で踊っているけれど、最後の場面は炎の中で苦しんでいる様子を表している。
・最後に踊った時に重さを量ったら、扮装が17キロあって、それを知ったら急に重く感じられて、量らなければ良かったと思った。
・「血綿〔ちわた〕を縫い込んである糸」「鬘の栓〔せん〕」は、お客様に気付かれないように、そっとしまわなければならない。
・六代目の菊五郎さんが、踊りに「印象派」の感覚を取り入れ、「保名」や「鷺娘」の終わり方が変わった。
・小道具の傘はもう作れる職人さんがいなくて、ずっと同じ傘を大切に使っていた。
というようなお話でした。

2018年11月24日 (土)

東京文化会館の豆知識その2

先日、東京文化会館の舞台裏を見学させていただいたのです。

小ホールの稼働率はほぼ100%で、休館日以外は公演がびっしり入っているのだそうですが、1961年に開館した当初は、小ホールではなく会議場だったのだそうです。近くを通る常磐線の貨物列車の音が大きかったらしいです。大ホールは、なるべく線路から遠い位置に置きたいということで、あの位置になったということでした。

設計者の前川國男のこだわりについても、いくつか話を聞かせていただきました。師であるル・コルビュジエに対する尊敬の念が、東京文化会館の建物の中に込められているのだそうです。
大ホールのオケピットの真ん中が三角形に出っ張っていますけれども、あの三角形の中心が示す方向の先に、ル・コルビュジエが設計した国立西洋美術館の19世紀作品展示室のセンターがちょうど来るように設計されているのだそうな。設計者にしか分からないこだわりに何の意味があるのかよく分かりませんが。
大ホールのロビーの、国立西洋美術館側のガラスの壁に入っている模様も、西美の何かを模しているのだとか。
大ホールの上のほうに上っていく階段の壁がピンク色なのですけれども、あの色も前川國男がこだわって決めたのだそうです。あの建物の色の好みは、全体的に私の感覚に合わなくて、客席の赤、青、緑、黄色も私は好きじゃないです。

小ホールに行く途中が長いスロープになっていますけれども、あのスロープにも設計者の強いこだわりがあったのだそうです。

「設計者の強いこだわり」が、マイナスに働いている印象がありました。

大ホールの階段の手すりの形状にも、設計者の強いこだわりがあったそうです。確かに凝った形をしています。しかし、その手すりは使いづらかったらしく、現在は新しい手すりが付けられています。(手すりの上に手すりが付いているという、変な手すり)

手すりにはそんなにこだわったのに、階段の照明にはなぜこだわらなかったのでしょうか?昔から不思議なのですが、あそこの階段の照明は、団地の一般家庭の蛍光灯みたいな感じですね。

関係ありませんが、国立能楽堂の回廊の照明も、工場の照明みたいだなあといつも思います。

お話を伺っていて驚いたのですが、その昔、大ホールのロビーは、公演と関係なく誰でも入れたのだそうです。現在の正面入口から、野球場側の出入口まで、通り抜けのフリースペースだったそうですよ。
現在は、セキュリティー上の観点から、野球場側の出入口は常閉となっており、チケットを持っている人しか大ホールのロビーに入れませんが・・・。
ロビーがフリースペースだと、モギリはどこに設置していたのだろう?と思いますが、昔はモギリが1箇所ではなく複数箇所だったようですね。係員もすごい人数だったのでしょうかね。

新国立劇場の中劇場も、出入口がなくて、中と外が地続きになっている不思議な構造です。どういうつもりなんだか、よく分かりませんね。
日本の建築って、誰でもどこへでも入れてしまう構造だったんですね。
急速に感覚が変化したんですね。

日本人は、高齢化のせいもありますが、急速に足腰が弱くなりました。階段やスロープに対する考え方が急速に変化しましたね。
昔は、「階段を上っていく間に非日常の世界へ気持ちが切り替わっていくように設計しました」みたいなことをよく設計者が言っていたように記憶しています。
上ったり下りたり上ったり下りたり、一体どうなっているのでしょう?
パリオペラ座ガルニエ宮みたいな美しい大階段だったら、気持ちも華やかに切り替わるでしょうけれど、日本の公共建築の階段はまるで美しくないので、ただ面倒くさいだけですね・・・。

2018年11月22日 (木)

2番目の映画

玉三郎さんのトークショーで好きな映画の話題になった時に、玉三郎さんが2番目に挙げた映画のタイトルを忘れてしまった・・・という話を先日このブログに書いたところ、それを読んだ心の友Yさんから『ファニーとアレクサンデル』ではないかとメールが届いて、そうそう、それに違いない!ということで幻の2番目の映画が判明しました。
早速アマゾンでDVDを購入したところ、後になって3時間版と5時間版の2種類が存在することが判明。安かった3時間版を購入していたのですが、見るなら当然5時間版だろうということで、買い直してしまいますた。(大人の無駄遣い)
1982年のスウェーデン映画だそうです。イングマール・ベルイマン監督?知らないなあ・・・。

2018年11月20日 (火)

東京文化会館の豆知識

今日、東京文化会館の舞台裏を見学させていただいたんです。
私が東京文化会館の裏側を見せていただくのはこれが初めてではなく、3度目くらいじゃないかと思いますが、今回初めて知ったことがありました。

バックステージを見学したことのある方はご存じと思いますが、東京文化会館の舞台袖や楽屋の柱・壁には、出演者のサインが所狭しと書き込まれています。この風習が始まったのは、1967年からなのだそうです。開場が1961年なので、だいぶ経ってからなんですね。一番最初のサインは、フィラデルフィア管弦楽団のサインで、マジックではなくチョークで書かれたものなのだそうな。サインはコンクリート部分に書いて、他の部分には書かない暗黙の決まりになっているとのことでした。

そして、現在は屋上庭園に出ることはできませんが、昔は誰でも出られたのだそうで、屋上にはベンチが置かれていました。この屋上庭園を通って、音楽資料室から大ホールへ忍び込んで公演を見る人が昔はいたそうで、そういうのを知っていて許している時代があったんですね。(著名な指揮者もやっていたとか・・・)

私が見たところ、東京文化会館は、表と裏を完全に分けるための改修を行っていると思います。昔の日本の建物って、表と裏が分かれていないんですよね。客がどこまでも入っていけてしまう。セキュリティーという概念がなかったのではないかと思うんです。
国立劇場も、最近はカードキーがないと通れないようにしてありますけれども、昔は誰でも大劇場に行けたと思うんですね。私は就職してから、あまりの緩さにビックリしました。
国立能楽堂は、今でも見所までするっと入れちゃうと思います。私は設計の欠陥だと思っています。図書室や講義室の配置も変ですね。

上野駅の公園口改札を出ると、真正面に東京文化会館の楽屋口。
設計が変だと思うんですよね。
見学させてもらっておいてこんなことを書くのはナニですけど・・・。

東京文化会館は、国立劇場が出来る5年前に開場したのですが、国立劇場のほうが古い建物に見えますね。東京文化会館は何度も改修していますが、国立劇場は1度も大規模な改修をしていませんからね・・・。

2018年11月19日 (月)

坂東玉三郎トークショー

11月14日(水)、金沢歌劇座まで玉三郎さんのトークショーを聞きに行ってきたのです。
東京から金沢まで日帰りでトークショーに行くなんて、しがない国立劇場の職員なのに、そんな贅沢なお金の使い方をしていいものなのかという迷いがありました。しかし、「行きたい」と思う欲望も、いつまで続くのだか分かりませんし、状況が許すうちは見たいものを見に行けばいいのではないかと思い、出かけて行きました。

トークショーの中で、「好きな映画」という話題になりました。
玉三郎さんが真っ先に挙げた映画は、ルキーノ・ヴィスコンティ監督の「若者のすべて」でした。ちょっと意外な感じがしました。
私はヴィスコンティ監督の映画を9本見たことがあります。たまに名画座で「ヴィスコンティ特集」をやりますよね。かなり昔、上映されたのを一気にまとめて見たのです。
ところがヴィスコンティ作品は、「よく上映される作品」と、「上映されない作品」とに分かれると思うのです。なかなか映画館で上映されない「夏の嵐」は中古DVDを入手して見ました。見れない作品はなかなか見られないですね。できれば映画館で見たいのですが。
9本見た中では、「山猫」「ベニスに死す」「ルートヴィッヒ」が良かったですねえ。逆に「若者のすべて」「イノセント」はあまり覚えていない。もう1回見てみようかな。

それで、玉三郎さんが2番目に挙げた映画は、私の知らない作品だったのです。このタイトルは忘れてはいけない、覚えなきゃ、覚えなきゃと思って、トークショーの途中までは確かに覚えていたのですが、終わる時にはもう忘れていた。もう自分にガッカリしました。
手がかりがあれば、ネットで検索しているうちに判明するのではないかと期待したのですが、「ナントカとアレキザンドラ」とかいうタイトルだったんじゃないかと思うんですけど、全然分からない。
職場でその話をしたところ、「誰かネットでトークショーのレポートを書いてるんじゃないですか」と言われたのですが、そういうのもヒットしない。
ネット上でそういうことを詳細に書く人が減ったような気がするのですが、気のせいでしょうか?
・飽きた?
・この分野における愛好家の高齢化?
そうして2つ目の映画は幻と消えにけり。

あとは、たしか「欲望という名の電車」「アラビアのロレンス」「プラトーン」なんかが挙がっていましたかねえ。ベトナム戦争物でもう1本挙がってましたかねえ。玉三郎さんが口にする全作品を暗記しようと思ったのですが、覚えられなかったのです。年のせいなのか、昔からなのか?

「アラビアのロレンス」と言えば、カイロ大学を主席で卒業したと嘘をついていた小池都知事の好きな映画なのだそうです。ラクダが砂漠を歩いていくのを上から撮っていた場面が印象的だったとラジオで言っていました(あれ、どうやって撮影したのでしょうかね?)。そのラクダが画面の左から右へ歩いていくのか、右から左へ歩いていくのか忘れてしまったと小池さんは言っていました。好きな映画のことでも忘れてしまうものなんだなあとその時に私は思ったのです。
好きなものでもいつか忘れてしまう。

でも、好きな映画を1本だけ挙げるのって、難しいですよね。
映画よりも、歌舞伎や文楽のほうが何倍も感動しますね、私は。

より以前の記事一覧

2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ