つぶやき

2019年8月31日 (土)

国立能楽堂のホームページが酷い

国立能楽堂の英語版ホームページが本当に酷い状態なのです。
10月に「外国人のための能楽鑑賞教室 Discover NOH & KYOGEN」という公演が行われるのですが、英語版ホームページに「Nohgaku kansho kyoshitsu for the Audience from Abroad」と紹介されているのです。
「新しいことを始めるのは、今やっていることがまともにできるようになってから」お願いします。

「計画Plan」や「点検Check」にかける膨大な手間を省いて、真に必要な「実行Do」を!



2019年8月27日 (火)

ブログ

このブログは「ココログ」を使って作成しているのですが、従来使っていたデザインが使えなくなって、ストライプに変更してみました。しかし、実はどのデザインも私の好みではなく、仕方なくこれを選んだという感じです。
そして、ブログのまわりに表示される広告が、痩身だのシワ取りだの、掲載写真があまりに美しくない。もう耐えられない。
ブログの引っ越しを考えています。

2019年8月23日 (金)

言葉の消費

インターネットというものが世に出始めた頃と、私がオペラに興味を持った時は、ちょうど同じ時期でした。
全ての公演を見ることは不可能で、自分が見られるものは限られていますから、気になっていたけれど見られなかった公演の情報をインターネットから得られるのは便利。知らなかったことをいろいろ教わる場でもあります。


オペラでも歌舞伎でも、まずは「掲示板」というものがあり、書籍として流通するような話題ではない噂話とか、小ネタ、マニアックな知識、さまざまな感想というものが書き込まれ、誰かが疑問を投げかければ、それに回答を与える人もいました。かなり流行っていました。有益な情報を得ることもありました。
が、掲示板は完全に終了したように見受けられます。

そのような公開討論のような場のほかに、「ホームページ」「ブログ」などで、個人の感想や考えを書き込む人もいました。
が、それらは人数が減ったのに加えて、検索しても引っかからなくなったと思います。

「mixi」「Facebook」に書き込む人もいます。
が、ログインしなければ読めないところに書かれた感想や意見には、私はあまり興味がない。世間の興味の対象が「話」から「人」に移ったように感じました。

最近は「Twitter」で呟く人が増えました。検索にも引っかかり、私も読んでみることがあります。
が、文章が短い。文章と言うか、本当に鳥のさえずりのようで、単語で喋っているみたいな感じですね。

海老蔵さんのブログは、形式はブログですけれども、中身はほとんどTwitterなのではないかと思う・・・。

ネット上の文章が、どんどん短くなってきている気がするのです。そしてすぐ消えていく。

2019年8月17日 (土)

クルクルねずみ

世の中には、不思議なことがたくさんありますよね。
「なぜ真夏に野外競技を開催するのか?」というのも不思議ですけれども、「他の人気スポーツと開催時期が重なると、テレビ中継の視聴率が取れなくなるから」というわけで、良い季節は先にサッカーや野球やラグビーに取られちゃってるんですね?
出場する人々は屈強な人たちですから大丈夫なのかもしれませんが、見るほうはどうなんでしょうかねえ?
それに、この暑さでは良い記録は期待できませんよね・・・。

今日、歌舞伎座の第一部を見てきたのです。『伽羅先代萩』で、政岡のクドキには拍手が起こらなかったのですが、クルクル回るねずみに拍手が起こっていました。
ねずみが片膝でクルクル回るとなぜ拍手が起こるのか、私は昔から不思議なんですよね。バック転のほうが7百倍くらい難しそうなのに。
これまで何度も『伽羅先代萩』を見てきて、政岡のクドキで拍手が起こらなかったのは何度か見ましたが、ねずみのクルクルに拍手が起こらなかったことは1度もない。

「客の感動」と「拍手の大きさ」は、あんまり相関していないんじゃないかなと最近思うのです。
「周りが拍手しているので、自分はあまり感動していないけれど拍手する」とか、「自分はすごく感動しているけれど、誰も拍手していないので自分もしない」とか、普通にありますよね。

2019年8月11日 (日)

国立劇場のホームページがあまりに酷い

文字が小さくてゴチャゴチャしていて本当に読みづらい国立劇場のホームページですけれども、内容も実に酷いと思うのです。
どういうところが駄目なのかと言いますと、たとえば国立演芸場で来月「正蔵 正蔵を語る」という公演があるのですが、企画の内容が何も説明されていない。今の九代目の林家正蔵さんは、祖父にあたる方が七代目の正蔵だったわけです。それで、代々の正蔵の当たりネタに挑戦する会、ということらしいのですが、説明がないと何だか分からないですよね?分かる人だけ来いということなのでしょうか?
国立劇場の邦楽公演で、10月に「浮世絵の音風景」という公演があるのですが、浮世絵がどういう形で公演にからんでくるのか、実物がロビーに展示されるのか、演奏している時の背景に映像が投影されるのか、印刷したものが配布されるのか、何も分からない。
「既成者研修発表会」って言われても、普通の人には意味が分からないと思うんです。「既成者」という言葉は他で一度も聞いたことがない。
何でこんなに説明がなくて分かりづらいのかと不思議に思うのです。

2019年8月 6日 (火)

成金Final

落語芸術協会の二つ目ユニット「成金」のファイナル公演が9月に行われるのですが、このチケットが取れるか取れないか「くじ引き」で決めるというので、くじを引きに行ってきました。ミュージックテイト西新宿という、新宿駅から少し離れた小さなCD屋さん。夜7時の閉店直前にギリギリ駆け込んで、汗だくでハアハア、成金のくじ引きに来ました、ハアハア、はい、あっ、ハズレですね、がび~ん。暑い中、焦って駆け付けてハズレ、脱力感パないっす、もう立ち直れない。自分はこういうのの運だけは良いと思っていたのに・・・。でもこれまで成金の公演って1度も行ったことなかったから、見捨てられても仕方ないか・・・。ハアハア。でもせっかく成金本は全ページ読んだのに、ハアハア。しょぼ~ん。

2019年7月13日 (土)

希望シリーズ「そのままの灰皿」

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これは、国立劇場の写真なんです。
むかし、喫煙場所の灰皿だった。
ところが何年前でしたか、世の中の分煙化の流れに乗って、
このスペースは禁煙になった。
で、灰皿の上に板を置いて、黒い布テープで固定してある。
私はですね、これは仮の処置だと思っていたんです。
綺麗に整備し直すまでの経過措置。
ところが、これが変わらない。
もう何年も経っているのに、一向に変わらない。
お金がないわけじゃないと思うんですよ。
他のことには使っています。

 

私が、
これっておかしくない?どうしてずっとこのままなのか、変だと思いませんか?
と言うと、
私より下の世代の人は、そうですよねえ、何でこのままにしてるんでしょうねえ、
と同意してくれる。
私より上の世代の人は、こんなものなんじゃないの、これでも昔よりは良くなったほうですよ、
と反論されてしまう。

 

昔よりは良くなった、
確かにそうかもしれない。
昔はもっと酷かったんです。
国立劇場へ行くのに、どうしてこんな裏寂しい道を歩かなくてはいけないのだろうかって思ったものでした。
何だか知らないけれど、歩きづらい砂利の上を、みんなでジャリジャリ歩いていた。
さびしい感じだった。

 

戦後の何もないところから、よくここまで来た。
昔は映画館も汚かった。
昔は駅も汚かった。
昔は新幹線の中も汚かった。

 

私は国立劇場のこの灰皿跡の美しくなさにもう本当に耐えられないのですが、
上の世代の人は何とも思わないみたいなんです。
美しいものを普通に見ている若い世代の人たちが、
いつか国立劇場を美しく変えてくれるのじゃないかと思って、
私はずっと待っているのです。

 

※これは6年くらい前に、このブログに書いた記事の再掲です。

 

 

2019年5月28日 (火)

私の心のリージョンコード

オペラのDVDも、あまり買わなくなりましたねえ。
「買ったのに見ていないDVD」が山積していますから、その上さらに購入するのは馬鹿の所業ですよね。
でもたまに買ってしまうことがあるんです・・・。うう~ん。

近年はタワレコのオペラコーナーが品薄ですし、ネットで購入することになるわけですが、その際は「日本語字幕が付いているか」ということを確認いたします。日本語字幕が付いていなくても楽しめる演目、すでに内容が頭に入っている演目、というのはその人のオペラマニア度によって違うと思いますけれども、私の場合それほど多くない。
っていうと「興味はあるけれど字幕が付いてないから諦める」ということもあります。

字幕なしでも楽しめる演目の場合、リージョンコードを確認いたします。買ったのに見られないんじゃ仕方がない。

そもそも、リージョンコードっていうのは、何なのでしょうかね?貿易障壁?
よく知りませんが、中国なんかですと「日本のアニメーションは国民に見せない」という政策になっているそうですよね。
他のアジア諸国では、子供が「ドラえもん」とか「一休さん」などの日本アニメを見て育つ国もあるそうですが、それだと自国の独自な文化が薄まっていくと言うか、感覚が日本と似てくると言うか、それではイヤだという国もあるでしょうね。

独自の文化をどのように守っていくか?別に守る必要はないのか?
日本は何も守らないですね。時代の流れに翻弄されて。

日本とヨーロッパは、同じリージョンコードですが、NTSCとPALで規格が違うからDVDが再生できない。規格の違いは単に商業上の覇権争いですよね?
日本とアメリカは、同じNTSC方式ですが、リージョンコードが違うから再生できない。
日本とアメリカのリージョンコードが違うのは、どうした理由によるものなのだろうか?
日本は敗戦国としてアメリカ文化に染まっているというのに、アメリカはこの上まだ日本に見せられない情報でもあるのだろうか。
「スターウォーズ」のDVDを買う時、安い輸入盤ではなく、高い国内盤を購入せよ、ということだろうか。
(「スターウォーズ」を字幕なしで楽しめる日本人はあまりいないと思われるので、その線はない)

インターネット上には、DVDのリージョンコードに相当するものはあるのだろうか。
中国は他国のネット情報を締め出しているという話も聞いたことがありますが、日本はどうなのでしょう。

海外からの情報は、どのように操作されているのだろう。その操作方法は知らされているのだろうか。

日本は現在のロシアの情報をちゃんと取得できているのでしょうか?
(規制されていなくても、解読できなければ同じことですが)

このあいだ新国立劇場でチェーホフの「かもめ」が上演されたのですが、イギリスの劇作家トム・ストッパードが書き直した台本で上演されて、あら、日本って英語経由でロシアを理解する国だったんだっけ?と驚いた。トム・ストッパードがやったような作業を日本人の視点から行う日本人
はいないわけなんですね?

アメリカで銃の乱射事件があると日本で大きなニュースになるけれど、無限にある世界のニュースの中から、なぜそれが選ばれて報道されるのか、よく分からない。

2019年5月26日 (日)

国立劇場のホームページ

国立劇場のホームページが酷いという話の続きです。
駄目なところはいろいろあるのですが、まず「出演者の顔写真が載っていない」というところが駄目だと思うのです。
歌舞伎で「特設サイト」を作った場合は顔写真が掲載されるのですが、そうでない場合は載らないんです。つまり基本的に載っていないんですね。

私が職場でそのような話をしますと、「ちらしのPDFが貼ってあるじゃないの」という展開になることが多いです。でも「ちらしのPDFが貼ってある」というのは、ウェブサイトの作り方として、かなり低級な情報提供ですよね。
時代の流れを考えれば、紙のちらしを作成することに力を注ぐよりも、ウェブを見やすくするほうが、宣伝効果が高いのではないかと思うのですが、どうでしょう?

ちらしに顔写真が出ていればまだ良いほうで、国立能楽堂なんて名前だけです。しかもホームページの公演情報ではシテ1人の名前しか出ていない。
私が職場でそのような話をしますと、「国立能楽堂の公演はいつも完売だから、宣伝にお金をかける必要はない」という展開になることが多いです。しかし「国立能楽堂の主催公演が完売ならそれでOK」というような考えでは駄目だと私は思うのです。能楽の公演はどんどん観客層が薄くなっていて、よそでは空席が目立ちます。能楽師はただでさえ面をつけていて顔を覚えにくいところがあるのですから、公演の機会にちゃんと顔写真を出して、観客に覚えておいてもらわないと困ります。他の能楽堂がやっていなくても、国立能楽堂が率先して出演者の顔写真やプロフィールをホームページに掲載すべきだと思うわけなのです。
新国立劇場なんて、研修発表公演でさえも出演者の顔写真を載せています。
そういう部分のお金を惜しむのはおかしいと思うのです。

私が職場でそのような話をしますと、「新国立劇場は寄付を集めてやっているのだから、うちとはお金の使い方が違うのも当然だよ」という展開になることが多いです。
それは全ての費用を寄付でまかなっているのならば私も何も言いませんが、新国立劇場は舞台スタッフを全て税金でまかなっているでしょう。国立劇場よりも広範囲にわたって、国立劇場よりも多額の税金を投入しているのに、それは自己財源でやってるからと言われても、意味が分からないです。つまり国立劇場や国立能楽堂の現状に納得がいかないわけなのです。

新国立劇場の英語版ホームページは、イギリス人スタッフがデザインしているのだそうです。
国立劇場の英語版ホームページとの落差というものを、評価委員の方々はどのように考えているのでしょうか?


水商売

国立劇場・・・。
平成7年に就職したのですが、ずいぶん変わりましたねえ。外から見ているとあまり感じないかもしれませんが。

劇場の切符売場、場内案内の仕事は職員がやっていたのですが、私が就職してほどなく、外部委託となりました。
(職員にもいろいろな身分がありましたけど)

ここ数年、高齢者採用も増えました。
よその職場で60歳定年で退職した方を採用して、65歳まで働く形。
特任事務員も増えました。
1年契約で、最長3年まで更新できる形。
要するに、退職金を払わなくていい雇用形態ですね。
同じ仕事をしているのに、ずいぶんな待遇だなあと思うのです。

しかし、職員である私も、将来ちゃんと退職金がもらえるんだか?ちゃんともらえない気配が濃厚となってきましたから、さして待遇は変わらないのかもしれません。

3年間働いて、職場を去って行った特任事務員の方が、よそで3年働いて、また戻ってくる・・・という例も見るようになってきました。

人事を担当する部署は、人事労務課と言います。むかしは人事課と言っていたのですが、途中から人事労務課に変わりました。どう違うのか分からない。福利係と言っていたのが福利なんとか係になったり、部署の名前がどんどん長くなっていって、しかも途中で変わるので、どうせまた変わるんだろうと思って、名前を覚える気もしない。

いま人事の人は大変みたい。任期満了にせよ、途中にせよ、大勢の人がやめていきますし、そのぶんまた雇わなければいけない。募集したり面接したり本当に大変。給与も新たに計算しないといけないわけでしょう。

こういう流動的な雇用形態って、アメリカから来ているんですかねえ?

私の場合、2~3年に1度の周期で人事異動があって、いま10箇所目の職場で働いています。異動があって新しい職場へ行くと、これまでと全く違う仕事をすることになり、転職を繰り返しているのとあまり変わらないんじゃないかなあと感じます。
そして、あまり専門的な仕事は出来ないのではないかと思います。
具体的に言いますと、ずっと編集の仕事をするのだと思えば、Photoshopを覚えようとかInDesignを習おうかとか考えるでしょうけれど、3年しかいないのに出来ない。
(もっとも編集の仕事をやり始めたらそんな時間は取れないと思いますが・・・)
先の予定が立たないですよね。

私が就職する前くらいまでは、あまり異動もなかったのだそうです。ずっと同じ部署で働いている人が多かった。

なんでこんなにくるくる異動があるのかと考えますと、「やってられない」と思う人が多いのではないかと推測されます。「もうこんな部署では働いていられない」という人がいると、人事異動があって、その人の気持ちが新たになり、辞めずにすむ。
「もうこんな部署では働いていられない」と人が思う部署は、いつも同じ部署。変えられない。

そして、聞いた話では、うちの監督官庁である文化庁がさらに人事異動が激しいのだそうです。1~2年で別の部署らしいです。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」などという言葉が思い浮かびます。

日本にはいろいろな芸能があって、1つの分野だけでも、有名な演目を見るのに数年はかかります。2年間で何が出来るのかなあ?と思います。

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